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小説って「叙事文学」?

1 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 15:00:48
哲学者ルカーチは、「叙事詩と小説は二大叙事文学だ」と言った。
叙事って「事実を叙述する」ってことだろ?
すると、小説はフィクションではない?
それは、言い過ぎとしても、いわゆる私小説だけじゃなく
純文学系の小説一般は、純然たるフィクションというより
「ある程度、事実の裏づけのあるフィクション」じゃないのか?

2 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 15:08:00
http://unzaunza.exblog.jp/12083/

>ルカーチ
>叙事詩と小説は二大叙事文学

3 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 15:10:52
叙事
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%bd%f6%bb%f6&dtype=0&stype=1&dname=0na

4 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 15:34:27
「ヴェニスの商人の資本論」出した頃の岩井克人と柄谷行人の対談で、
たしか、小説と戯曲を比較して、小説はフィクションと言っても
事実を意識した上でのフィクションだ、ということを、
どちらか(たぶん岩井)が言ってたような記憶がある。

5 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 17:23:57
通俗娯楽文学と純文学のあいだの、
なんだかんだ言っても無くならない厳然たる区別も、
空想的か叙事的か、にあるんじゃ?

6 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 17:24:51
>私小説
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1157701866/l50

7 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 18:27:29
>>1様 ハンガリー語で言ったの? ドイツ語?

8 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 18:40:26
ルカーチはハンガリー人だから、ハンガリー(マジャール)語?
しかし、オーストリア=ハンガリー帝国はドイツ語圏だしな。
学術書は普通ドイツ語で書くんじゃ?当時ならね。


9 ::2006/09/11(月) 18:42:20
>>7

それは知りません。ネットで「小説 叙事」で検索したら
二件くらいルカーチのこの言葉にぶつかったのです

10 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 18:50:59
http://adr.g.hatena.ne.jp/keyword/%E5%B0%8F%E8%AA%AC?kid=2010

小説が叙事文学に分類されるというのは、ここ↑にも書いてあるよ

11 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 18:53:07
>>8様 その、小説、を指す単語はどれなんだろう? 

ドイツ語
{Literaturw.} Roman {m}; Erzahlung {f}; Novelle {f}; Kurzerzahlung {f}; Geschichte {f}.
ハンガリー語
novella, ujfajta, regeny, ujszeru

12 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 18:55:03
知らんがな('・ω・`)

13 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 18:56:01
>>12様 ごめんよ。

14 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:00:42
>>11
そこまで、ドイツ語かハンガリー語かにこだわるのは何故ですか?

たとえば、英語のNOVELは、長編小説を指すのであって
短編は「ショート・ストーリー」と呼ぶ。
日本語では、両方とも小説という語でくくられるちゃうけど、
英語はまた違う。

「小説」といっても、そのように一緒くたに邦訳されてるものは
いろいろ種類があるので、ルカーチがどういう意味でそう言ったのかは
検討する必要アリ、ということかな?


15 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:01:38
くくられるちゃう→くくられちゃう

16 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:08:41
探偵小説も、a detective story であって
a detective novelではない。
やっぱ、novelっていうのは、
ただ単に物語的な形式で書かれてるだけではない、何かがあるのかな?


17 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:12:25
白石さん逃走?
質問きてますよ。

18 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:29:48
例えば、龍の「限りなき透明に〜」は、
あそこに書いてあることが全部本当とは思わないけど
あれに近い生活を作家がしてた、ということは、ほぼ確定だろう。
でも、どこからどこまで事実で、どこからがツクリかなんて追求するのは
野暮だろう。

純文学小説とは、ラジオの経験談の投書みたいなもんじゃないのか?
リスナーはその投書を、100%真実とは思わないだろう。
何らかの脚色があるということは覚悟して聴いてる。
自分の経験を友達の経験のように語るとか、その逆とか、
面白くするために粉飾するとか、
複雑だったり退屈だったりするプロセスを省いて単純化するとか。
しかし、全くの作り話だとも思ってないだろう。
なんらかの事実の裏づけがある、ということも、暗黙の了解である。
そんなところに、全くの空想話を送ってくるのは、危ないヤツだし
だいたい聴いてりゃ分かるからね、そういうことは。

SFや推理小説が純文学から排除され、
その一方で幻想文学は一定の評価を受けるのは
その辺が理由なんじゃ?
ラジオの経験談投書に、「きのう近所に宇宙人が攻めてきた」とか
「名探偵が、きのう近所で、トリック殺人の犯人を推理した」なんて
送ってくるヤシは、「空気読めてない」ヤツだからな。
夢や幻覚は、その内容はありえないことでも「そんな夢を見た」というのは
事実だから、スレスレ・セーフなんだろう。

19 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:42:45
http://alisato.parfait.ne.jp/book/cbltprize/prize05.htm

>>11
ロマンとノベルってどこが違うの?

20 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 19:49:33
カフカの「変身」は、
純文学に分類されてるし、人間が虫になるなんてありえないけど
虫は何かの隠喩、例えば、カフカが職場でユダヤ人だからって苛められて
引きこもりになって、家族から嫌がられた経験を書いたとかwwww

21 :ワーグたん:2006/09/11(月) 19:50:16
おいお純文系の作家でもSFや推理小説の要素持ってるぜ?つうか、大きな賞とか受ける小説となると殆ど幻想的なガジェットを使用していることが多いぞ?
クッツェーなんかもそうだな。日本がおかしいんだな。まぁこれは明治初期に19世紀文学の影響を強く受けているところによるんだろうがwwwwwwwwwwwww

22 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 20:04:08
>>21
それは、それこそ、カフカが変身譚を利用したような意味で
SFや推理小説的な要素持ってるってことでしょ。まさにガジェットとして。

幻想的なのはOKなのよ。足がビヨ〜ンって伸びて雲をつかむのはありえないけど
そういう夢や幻覚は事実としてありえるからね。
いちいち、「これは夢です」って書かなくても、夢うつつでもいいのさ、
読んでるほうはそう判断するからね

23 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 21:41:30
>>14様 そうそうそのことまさにそゆこと。もうここ五年来の課題なの翻訳言語藝人として明治以降に成立した
専門用語は。
>>16様 うんそうだと思う。日本語にすると一緒くたであいまいになるからニュアンスがずれるの。
>>17様 懸垂してた。階段で一回出来るようになったよ。
>>18様 純文学ってのは日本以外に存在しない概念だと思う。
>>19様 わかんないから質問したんであって。たぶんねノベルのほうかジャーナリスティック的なのだと思うよ。
>>21ワーグたん様 個人的には純文学、というくくりを商業属性以外に適用するのは無理があると思ってます。


24 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 22:23:23
>>23
>純文学ってのは日本以外に存在しない概念だと思う

欧米でも、アメリカだったら、
やっぱりフォークナー&ヘミングウェイとシドニー・シェルダンは違うだろう。
フランスの娯楽文学っていうのは、ちょっと想像できないけど
メグレ警視とかは、推理小説だよな

25 :24:2006/09/11(月) 22:27:45
例えば、
アメリカのスリップストリーム(境界解体文学)というムーブメントでは
主流文学とジャンル小説の境界を解体する、ということが謳われた。

やはり、少なくともアメリカではあるでしょう。

26 :24:2006/09/11(月) 22:29:41
ジャンル小説ってのは、推理物とかSFってことだろうな

27 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 22:36:36
>>24-25様方 それは単に残ったからそう言われてるだけじゃないかと思う。純文学、って言葉を外国語で
簡潔に説明できないですもん。日本語でだって出来ないのに。でもまあいいや。スレッド趣旨からずれるし。
ここではあくまで、小説、ってことで。

28 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 22:40:05
 ちなみにね。まあいいや、って言っておいてなんだけどこの場合の、純、って言葉の使い方ってね、喫茶の前
につける場合と米酒の前につける場合にすっごーく良く似てると思うの。

29 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 22:48:20
だけど、例えば、日本では芥川賞、直木賞という区分けがあって
前者が純文学、後者が娯楽文学とみなされている。

アメリカでも、SFはヒューゴー賞、ネビュラ賞
ミステリーだったら、この前、日本から桐野夏生がノミネートされたのがある。
純文学だったら、そういう賞はやっぱりあるでしょう。
ノーベル文学賞でもいいし。

SFやミステリーと見なされてたものが、将来に純文学に「昇格」する、
ということはありうる。ポオなんかはそうか。
ヴォネガットだって今はSFの人って感じじゃないもんな。
逆に、主流文学と見なされてたものが、その後に
通俗娯楽文学に「降格」するってことは、無いだろう。
あの作品は通俗的だったと、後世に評価されなおすことはあるだろうけど
その時点でその作品は忘れら去られる運命にあるわけで。

30 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 22:53:57
>>29様 ジャンルについての話はいいですよ。あくまで僕的に単なる商業属性もしくは菊池寛さんのつごう、
ってことで。ほんとにいくら考え詰めても結論出ないし、そんなに重要な事だと思えないし。
 問題はルカーチさんが何を言わんとしてたか、ってことで。

31 ::2006/09/11(月) 22:54:35
ノーベル文学賞は、アメリカの賞じゃないけどね。
全米図書何とか賞とか

32 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 22:56:40
じゃ、そっちに話を戻しましょう。
ルカーチは、たしか、こうも言ってたと思う。
どこのサイトで見たか忘れたけど。
「小説とは神なき時代の叙事詩である」と。

33 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 22:58:33
>>32様 あ、それはわかりやすい。神話と違って書いたひとの視点という意味だとしたらわかりやすい。

34 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 23:01:30
そう。私も、その言葉を読んで、すごくシックリ来たんですよ

35 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 23:07:22
>>34様 あら三十四レス目にしてなんかしっくり落ち着いたような気がするんですがいいんだろうか?

36 ::2006/09/11(月) 23:22:22
>>35
いや、ルカーチの主張うんぬんより、
「叙事文学」っていう言葉の意味が重要なのですよ。

小説が叙事文学だとすると
小説って言うのは果たして本当にフィクションなのか。
よく、「事実は小説より奇なり」、というけれど
そこでは、「小説」という語を、「事実」の対義語のように捉えている。
しかし、事実⇔小説というほどには、
小説はフィクション的じゃないんじゃないか?

「事実の裏づけのあるフィクション」、もっと踏み込んで言うと
「嘘を書くことを許された叙事表現」というあたりが、
(純文学とか王道、正道、主流と言われる)小説の姿なのではないか。
日本では私小説というのが、わりと大きい存在だから、
特にそうなんじゃないか


37 :吾輩は名無しである:2006/09/11(月) 23:35:25
「なんとなくクリスタル」だったら、作家が男なのに
女の視点で描かれてるけど、
ああいう女子大生が康夫ちゃんの身近にいたんだろうか。

38 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/11(月) 23:54:10
>>36 1様 あくまで個人的なくくりだけど、日本語の、小説、って言葉はバーリトゥードみたいなもんで、
視覚言語表現であればルール抜きで小説として成立するような感じがする。要するになんでもアリ。
散文である必要すらない。定型で書いた小説も存在するし。何らかの形で視覚記号的に情報を伝えて
いるものは全て小説、ってくくってもいいような感じになってると思うの。
>>37様 あそこに書かれている乳首のなめ方は叙事的なものだと思います。その後ペログリなひとに
なってゆくわけですし。

39 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:06:38
>>38
そうそう。あそこで康夫ちゃんの自己投影は、
キーボード奏者の淳一のほうじゃなくて
ヒロインの浮気相手のMASATAKAのほうだと、思ってたんですよ。

40 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:10:38
>>39様 そうそう小説作法の脱ダム宣言だね。叙事的超えて預言書的。

41 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:15:52
叙事文学が「事実」を述べているわけではないのだが。
出来事を叙述する形式の文学。

虚構性学と事実性は別のモノサシ。

確認はとれてないが、ルカーチが述べている「小説」は Roman。
ノヴェレ(Novelle)は短編小説だが、ストーリーのヤマが
はっきりしていて、いかにも「新奇」って思わせるスタイル。
18世紀後半から19世紀末まで流行る。カフカの短編なんかも
これに類するわな。

42 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:18:28
というわけで、
ドン・キホーテもガリバー旅行記も「叙事文学」。

43 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:19:22
>>41様 英語と独語でもちょっと括りが変わってくるんだな。勉強になりました。ありがとう。

44 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:19:37
小説は、地の文は過去形が多い
改行を抑制したほうが純文学っぽく見える(改行が多いと通俗化する)
カギカッコ会話文も抑制したほうが純文学っぽく見える(会話文が多すぎると
やっぱり通俗化する)
などの外形的特徴があると思われますが

45 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:21:21
>>44様 ごめん見も蓋もない言い方するけどそれ気のせい。もしくは思い込み。

46 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:23:38
>>41
>出来事を叙述する形式の文学

なるほど。「形式の」というところが重要なわけですね。

しかし、その形式で、あまりにも奔放な空想世界を描くと
文体と内容の不適合を起こすような気がする。

47 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:25:00
>>45
統計とって見ないと分からないよ。

48 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:30:13
ホメロスの叙事詩だって空想世界だぜ。

49 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:31:41
>>47様 たとえばそれだったら翻訳者次第で小説になるかどうかが決まる、ってこともありえるわけ。
そもそも純文学っぽい、って言ってる時点ですごくあいまいなご意見だし。そもそもルカーチさんは
純文学なんてものの存在とか定義を理解できないでしょう。
>>46様 ぼくもすごくなるほど。

50 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:31:55
> 小説は、地の文は過去形が多い
小説に限らず、童話やその他の物語も同様。
抒情詩は現在形が多い。独白で進行する小説も現在形が多い。
理由を考えて見ると面白いよ。



51 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:32:37
>>44-45
たとえばポール・オースターの「幽霊たち」は、
地の文がほとんど現在形なので注目された。
注目されたということは珍しいからだろう。

芥川賞作家・村上龍は、カギカッコ会話文を書くのがイヤになり
「共生虫」では、ほとんど使用しなかった。

改行については具体例は思いつかないが
そういう意見をどっかで読んだような気がする。

52 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:36:57
>>50様 過去形って概念、全世界的に普遍なものじゃないですよ。

53 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:39:50
小説は全世界的に普遍?

54 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:47:14
>>53様 なんでもありの視覚言語表現形式、というくくりならおそらく全世界的に共通。
どっちにせよ日本的にあいまいなくくりで文体をどうこういうのは無意味だと思う。そんなもん翻訳者
次第でなんとでもなるし、個人的に思うんだけど、日本語で過去形とか現在形とか未来形とかの
システムを体系付けたのって欧米の言語が入ってきてからじゃないかなあと思う。

 たとえば長州小力に、キレてる? って聞く時はいわゆる現在形だけど、彼の状態として現在キレ
てるのかっていうと違うと思うのですよ。書く立場からすれば文脈の流れ上の問題で動詞末尾を、
る、にするか、た、にするかの違いでしかないという側面が大きいと思うよ。

55 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:48:13
 ごめんなさい。読みにくい文章書いた。反省。伝わるかなあ。

56 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 00:50:44
 とりあえず現時点では>>41様のご意見非常にツボ。文体は別のものさしだね。
 というわけで出来事を記述しない形式視覚言語表現というものは存在するのか? という点を皆様にお伺い
してみたいのですが。

57 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:54:46
>>54
日本語の場合はそのとおり、
ただヨーロッパの文学ではほぼ>>50の原則が当てはまる。
ただし文学作品での「過去形」が必ずしも「過去」を表
すわけではないとよく言われる。


58 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:54:50
>>56
数学の、座標上の図形を数式で表わしたのは、どう?

y=ax+bとかさ

59 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:56:13
>なんでもありの視覚言語表現形式
詩が入ってきちゃわない?

>システムを体系付けたのって欧米の言語が入ってきてからじゃないかなあと
そう? 古文の授業でえらい苦労した思い出がありますがw
むしろ主語述語関係では?

>出来事を記述しない形式視覚言語表現
マラルメ 
ダダイズム
フルクサス
シュルレアリズム

60 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:56:41
つか小説が「視覚言語表現形式」っていう前提がおかしくないか?

61 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 00:58:36
視覚言語表現形式であってほしい!ってことじゃ?

62 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:01:02
>>57様 うん、ただ単にシステムの問題。でも英語だと過去形は過去じゃないの? オースターの話は
そのあたりからきてるんじゃないかと。ちなみにタイ語には過去形らしきものはありません。タイ語がそう
だからラオス語もそう。クメール語とかビルマ語もおそらくそうだと思う。
>>58様 おおすばらしい。でも、こじつければaにxをかけてbを足したものがyになったという出来事して
判断しちゃうのはやっぱこじつけだな。

 あ、そうだ。プログラミング言語があるじゃん。ということは時間割とか番組表もそうだな。

63 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:06:50
>>59様 叙事詩も小説ということでいいんじゃない? 当然他の詩も。散文詩ってのもあるし。
>>60様 そしたら落語と短篇の区別がつかなくなるんですよ個人的に。まあでも語り物芸は演技者によって
それこそ文体的なアレンジが入るけど視覚記号にしちゃえば動かないって違いがありますね。
>>61様 点訳されたものが触覚言語形式なんかになっちゃうとそれはもう何がなんだか。


64 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:06:53
>>62
未来小説でも過去形が使われてるよ。

65 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:10:51
>>64様 それはあくまで読者の立場から見て未来ってことじゃないの? 源氏物語が全部過去形で書いて
あるわけじゃないのと同じように。でも出来事を記述するんだからいわゆる過去形が使われるのは当然か。

66 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:14:43
うーん…。

67 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:15:11
しかし、日本の純文学小説を色々読んで、
こういうのが「普通の小説」の形式なんだな、というイメージを抽出して
それを元に、自分で何か書こうとすると
どうしても、空想世界より、事実にちょっと粉飾したっていう感じのものに
なってしまうな。
文体、形式が、内容を決めてしまうというか。

68 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:16:15
>読者の立場から見て未来ってことじゃないの

そう考えるから、アカンねん。
読者と小説内世界を分ける指標が「過去形」なのだよ。
未来とか過去とかは関係ない。読者にとって「未来」といっても
読んでいる読者はそれを「未来」の出来事として感じないだろうし、
「過去」であっても、読者は目の前に繰り広げられている事件を
思い浮かべるだろう。

ドンキホーテでもガリバーでもフランケンシュタインでも
初期の西洋小説は冒頭の部分からいきなり小説がはじまらず、
だれだれの手記なり告白を紹介するって形態を取るだろう。
そこで物語が始まる。ようするに日常世界とは別の世界を
示す区切りだわな。

69 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:16:29
じゃあ、小説も詩ということでいいんでわ?

70 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:19:06
>>68 方言おじさんだ!

>文体、形式が、内容を決めてしまうというか。
「漢字」の問題では? 中原がちらっとどこかで触れていたような。


71 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:23:04
>>67様 純文学ってのは商業属性的側面が一番大きいと思うけどね。純米酒や純喫茶に規定がないように
お客さんに買って欲しいからそういうラベルをつけてみる、みたいな感じかなあ。

72 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:26:55
>>68様 いや、同意見なんですがわたくしも。何で反論されてるんだろ?
>>69様 うん。詩学って学問の範囲ではそうなってるんじゃないの?
>>70様 漢字の問題は大きいねえ。世界的にマイノリティな表意文字。日本語の場合は表音混ざるから
さらにあいまいさに拍車をかけるんだろうなあ。


73 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:29:36
純米酒=米と水だけで作ったお酒、です。

74 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:31:48
>さらにあいまいさに拍車をかけるんだろうなあ
そこが面白いところだと思うけど。


75 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:33:44
「ぐりとぐら」も
「愚理と愚羅」だったら

ぜんぜん違う話になっちゃいそうだね。

76 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:40:27
>>73様 まじで? 混ざりもんあってもそう表示されてる場合はないの?
http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/encyclopedia/00086.html
で、調べてみました少しだけ↑。なんか底意地悪い見方すると現在はぬかと水でお酒作ったって純米酒
ってことでいいってことになるのか?
>>75様 「ぐりとぐらとグフ」だったらちょっとした近未来だよねランバラルだよね。

77 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:46:35
基本的には純米酒=米と酒、ですよん。
まあ、そういう細かいことはさておき、「純」って言葉が問題
なんでしょうね。
そういえばかつて「中間小説」というのがありましたね。あれって
なにとなにとの「中間」だったんだろうか? このあたりといまの
純文学って…。
漢字ビジュアルについてはいっとき筒井がやってました。

ランバラルは汗臭そうでキライ。
むしろ「ぐりとぐらとミライさん」がいいな。


78 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:48:14
米と水でした・・・。酩酊中。

79 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 01:50:01
タイ語やラオ語で書かれた小説で、日本語に翻訳されたものはあるのですか?

ルアンプラバーン、もっかいいきたいなあ。

80 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 01:57:17
>>79様 たくさんありますよ。井村文化事業者が出してます。大同生命文化基金もたくさん出して全国の図書館
に配布してます。このスレッドに↓少し書いておきました。

■■海外現代文学総合スレッド3■■
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1151746524/

81 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 02:01:37
ありがとうございました。
さっそくチェックしてみます。
井村文化事業者とはまさか饅頭の。。。

82 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 02:06:00
>>81様 おすすめは『王朝四代記』。なんかいいですこれ、作りがクラッシックで。吉川さんの訳文も読みやすいし。
これこそまさに叙事的ですよ。と、さりげなくスレッド主旨に戻してみる。

83 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 11:05:10
>>48
昔の人は現代都市文明人より夢幻と現実の区別が曖昧だった、
というだけでは?

最近でも、目取間俊の「水滴」とか平野啓一郎の「日蝕」は
未開人(と言っちゃ失礼か、琉球人)や中世のヨーロッパ人の
そういう感覚を書いてる。

目取間のほうは、たぶん、けっこう「まんま」だろう。
平野のほうはは、京大法学部生だった頃、名教授といわれる人が俗物だったり
真に優れた教授ほど変わり者で隅に追いやられてた、という経験を
中世の司祭や錬金術師に置き換え、
それを傍観していた法曹予備軍(=法学徒)だった自分を
かけ出しの僧侶に置き換えたんだろう。

84 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 11:10:21
平野のほうはは → 平野のほうは

85 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 12:33:12
>>64
未来小説は、やっぱり社会的地位、低いよ。
大江が「治療塔」とかいうSF書いたっていったって
それは、純文学で認められた人だから価値があるんで。

筒井はSFから出て、純文学でも認められたけど
芥川賞とってないし
喩えるなら、優秀でも絶対に大統領になれない
アメリカのユダヤ人政治家みたいなものさ。

文壇が時代への柔軟性をアピールしたくて
SF出身も認めた、っていう政治的な面もあるだろうし。

もちろん、今はまた違うよ。
SFをガジェットにした純文学作家が最初からすんなり認められる下地が
出来てると思うけど、それは今更って言うことであってね。
このタイムラグはいかんともしがたい

86 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 12:34:22
あと安部公房がいたか。
ありゃ、早くから文壇で認められてたけど
東大医学部出身だから

87 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 12:43:18
星新一が、東大出身なのに、文壇に認められなかったのは
農学部だから?

88 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 12:44:48
>>87
あれは正当な評価

89 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 12:47:53
 文壇とか、スレッド主旨的には全然関係ないと思うんですが。みんな考え方がローカルだなあ。
話のきっかけはハンガリー人のひとことなのに。

90 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 12:48:09
>>83
一概には言えないわな。ホメロスだって古代ギリシアではすでに空想として
認知されてるし、中世の小説の多くも「空想」だってわかって書いている。

>>85
基本的にジャンル・文体・形式論と文壇的評価は全く別のモノサシ。
未来小説=SFってのも短絡的だが。

91 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 13:02:52
>>85-86
開いた口がw、格別>>86はww
…だいたい治療搭、治療搭惑星はつまんねーし、ジャンル以前にw
カバーではしっかりと「近未来SF」なんて謳ってるけどあれは嘘、
単にきょうびのアニメやらなにやらのサブカルに多い、「どことなく」
SFチックな小説ってだけ。まともなSF読みに、あれをSFと認める
様なボケなんていないってw 云うなればアシモフの『銀河帝国興亡史』
モノがSFで無いのと一緒で、要はセンスオブワンダーがねーんだよ、
どっちにも。

92 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 13:04:21
>>85
まあ、バージェスの「時計仕掛け〜」は、
近未来物だけどSFという感じじゃないけど、
俗には、そう思われてんじゃないの?

いずれにせよ、未来小説は、既に一定の評価を得てる人が書かないと
色物扱いされるだろう。
龍のコインロッカーは、芥川賞受賞後の作品だし。

>基本的にジャンル・文体・形式論と文壇的評価は全く別のモノサシ。
いや、ダーティーにいきましょうよ、
そんな風に清廉潔白ではなくwww

いちおう世間で立派な文学と思われてるものが「文学」であって
本当は凄いのに俗物どもにバカにされてるものは「文学」ではない、
という観点でwww

93 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 13:06:57
> いや、ダーティーにいきましょうよ、
無知にしか見えないな。

>いちおう世間で立派な文学と思われてるものが「文学」であって
サドとかマゾッホをますまず勧めるな。


94 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 13:09:59
バカほど議論をまぜこぜにしたがる良い見本だ。

95 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 13:18:11
 ルカーチさんを返してっ。

96 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 13:20:03
>>93
>サドとかマゾッホをますまず勧めるな

心理学用語の、サディズム、マゾヒズムの語源になるくらいだから
それらの作品は、世間でも立派と思われてるよ。

変態エロだけど、この変態エロは、高級なものであって
AVとかとは違うんだと、世間では思われてるでしょう。
そりゃ、当時は発禁処分になったりしたのかもしれないが
そのことは、後世の後出しジャンケン・インテリたちにとって
カリスマ性を高めるだけでね。

サドやマゾッホみたく昔の人じゃなくて
いま世間でバカにされてるけど、本当は凄いんだって貴方が思うものを
例に出さないと説得力ないよ。

97 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/12(火) 13:43:40
>>96様 今の世間はどうでもいいと思うの。文壇と同じ理由で。

98 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 15:50:36
1)叙事文学=叙事(事実に忠実な表現)ではない
2)叙事の「形式」で書かれたのが叙事文学

というのは、非常に良く分かった。
しかし、叙事の「形式」で書くのにピッタリな「内容」は
やっぱり、限りなく「叙事」に近いことなんじゃないか。

綿矢先生が、自分にはミステリーとかは書けない。
「微妙なフィクション」を書きたい、とデビュー当時言ってたけど。

99 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 15:52:17
× 限りなく「叙事」に近いこと
○ 限りなく「事実」に近いこと 

100 :百太郎:2006/09/12(火) 15:55:19
>>99>>98への訂正

101 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 17:50:29
事実じゃなくて、出来事だっていってるだろう。
虚構の出来事でもかまわんのだよ。

102 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 17:55:15
虚構の出来事でも構わないけど、
虚構的過ぎると、形式とミスマッチってことでしょ。

103 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:01:19
単純な意味で事実性の欠落によって形式とミスマッチにはならないで
しょ。西遊記だって叙事文学だし、転身物語も同様だし、

もう少し複雑に、例えば小説の時間軸がおかしかったり
(過去へ向かって叙述されるとか、そもそも連続した時間がないとか)
連続したストーリーをになう語り手なり主人公がバラバラだったり
すれば、形式破綻と言えるだろうけど。

それは虚構性とは別問題。


104 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:05:02
もちろんハリーポッターも叙事文学だ。

105 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:05:51
>形式破綻と言えるだろうけど。
「形式」は破綻してないだろ。

106 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:11:53
>>103
ああ、そうか。叙事文学全般はそうですね。
じゃ、叙事文学の一種である「小説」はどうですかな。

107 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:13:23
形式についての理解が破綻しているやつがいるな。

108 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:32:46
家畜人ヤプーも, 叙事文学で, 「小説」だが。

109 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:37:05
ヤプーはこの板的にはどうよ?
セーフ、アウト?
最近はローカルルールで、いろいろ線引きされて
「学問系」(←いまいち分からんが)じゃない小説は
他の板に誘導されてるよな

110 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:45:32
形式とジャンルでは小説だ。でなければ何だ?

111 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:48:49
でも「学問系」じゃないと、この板じゃ、ダメなんだってよ
ヤプーは学問系?

112 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:52:28
学問系っていいかたがアホ
学問系の作家も作品も存在しない。そう言うことを考えるのは
およそ学問をしたことがないひと。
重要なのは、作品を「学問的」に話題にするか、「ゴシップ的」に
話題にするかの違い。
ジャンル論、文体論は文芸学の立派な一部門。



113 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:59:44
ローカルルール制定にかかわった人間のこころの声を代弁wすると、
「どの作品、どの小説家がどうというよりはむしろ、ろくに本読んで無い
奴やガキは来るな、ウゼエから」っつーことかと。>学問系云々
個人的にはネタスレおっけー、ただし実際は文学的なセンスも、知識も
無いガキ共の溜まり場になりがちだから無い方が良いかな…、って所。
気になるんだったら自治スレの過去ログ漁れば?

114 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 20:21:02
>>106
小説と、小説以外の叙事文学の違いって何だ?

115 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 20:27:42
「内面」がどうたらこうたら

116 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 21:01:01
自伝、叙事詩、物語詩、戯曲もありうるしね。

117 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 21:06:40
>>116
そこでは、戯曲も叙事文学ということ?
たしかに、(虚構も含む)出来事を叙述する形式っていう定義なら
戯曲も叙事文学になるけど、
一般に、文学は、抒情文学、叙事文学、劇文学に分けられると言われていて
その分類だと劇文学に分類される。

118 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 21:22:31
> 一般に、文学は、抒情文学、叙事文学、劇文学に分けられると言われていて

厳密に言うとダウトなんだな。

文学は、表現形式でまず、韻文(詩歌)、散文、戯曲に分けられるわけで、
抒情と叙事はどっちかっていうと表現内容というか素材に関るもの。
もっとも、戯曲のばあい「叙述」という言い方が妥当ではないし、18世紀
までは戯曲も韻文が普通だったわけだけど。


119 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 21:26:07
>>118
なるほど。サンクス

120 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 22:01:34
「小説」と他の叙事文学の違いを
ルカーチが言ったという「小説とは神なき時代の叙事詩だ」と
いう格言をヒントに考える。

歴史は、例えば世界史だったら、キリスト生誕を紀元に、
それ以前と以後に分節される。
人間の個体史にもそのような節目があるのではないだろうか。
ある時期を境にして、人生観、世界観が変わってしまうような
個体史の「紀元」が。
無論、全ての人の人生にそんな節目があるとはかぎらないが、
少なくとも作家には、ある。

その紀元とは、各人によって違うが、失恋とか、愛する人との別離、戦争体験、
被差別者としての出自を知ってしまった、などなど。
小説は、そこを巡って、あるいはそれを源泉として、織り出される。
しかし、ここには、ジレンマがあって、
「自分にとって大切なことだからこそ、人に伝えたい」一方で
「自分にとって大切なことだからこそ、胸に秘めておきたい」
このジレンマを解決するのが、「虚構」なのではないか。
近代小説が、「叙事」であって、かつ虚構である、
という両義性を持つのは、このためである。

121 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 22:59:15
>>120
>近代小説が、「叙事」であって、かつ虚構である、
>という両義性を持つのは、このためである。

そんなことはどうでもいいけど、
>人間の個体史にもそのような節目があるのではないだろうか。

卑近な例としては女性の妊娠・出産じゃないの?
男にはそれがないからね。
俺に「ジレンマ」はない。
なぜなら俺自身がひとつの作品だからであり、しかるがゆえ
その“私生活”は面白可笑しく荒んでいなければならない。

122 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 23:34:55
>>121
作品というのは、あなたの母上の作品、ということ?wwww

123 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 23:43:16
>面白可笑しく荒んでいなければならない
君が読んでいる小説の察しがついた

124 :ヽ(゜Q。)ノ ◆bx6hWDVQmQ :2006/09/13(水) 00:03:37
ま、まさ子様はもうお払い箱なのかなぁ??

125 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:07:46
>>121は筒井康隆

126 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:10:37
>>121
>俺に「ジレンマ」はない

だから、藻前は「作家」じゃないんだよwww
あるいは、作家なのかもしれないが、だとしても
きっとイヌSF以下の「社会的地位の低い」作家なんだろうなwww

127 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:11:52
>>121は佐藤亜紀

128 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:14:30
>>121は阿部和重と中原昌也

129 :ヽ(゜Q。)ノ ◆bx6hWDVQmQ :2006/09/13(水) 00:17:20
に、に、にっぷる、に、に、日本以外全部沈没の影響を受けて
小説家目ざしてます。いままで三十枚ぐらいかいたことあります。

130 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:22:53
>>129
三十枚っていうのは、なんか、一つの単位としてピッタリくるね。
なぜだろう。むかし使ってたワープロ専用機が、一つのタイトルの最大容量が
だいたいそのくらいだった。ディスク自体はもっと膨大な容量だけどね。

131 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:27:08
>>129は元筒井康隆

132 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:27:48
>>129
>日本以外全部沈没

http://www.all-chinbotsu.com/

133 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:53:45
「私小説」から卒業して、小説を語ろうぜ。

134 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 00:57:24
>>129は佐分利信

135 :(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2006/09/13(水) 01:00:28
>>129
前から観るけど、こいつすごい才能[マジ]

136 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 01:12:19
>>135 お前はくんな

137 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 01:13:55
>>133
しかし、柄谷行人いわく、
「我々はまだ私小説の周りをうろついている」(反文学論)

138 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 01:19:55
簡単に「我々」とかいうなよな。アホクサ。

139 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 01:30:55
>>138
それは、柄谷に言ってくれ。

と言いつつも、この言葉に賛同するものなので、
フォローしてみると、
たしかに、「私小説」はダサいし、>>120で言われてるような
「それを境に人生観が変わってしまうような個体史の節目」というような言い回しも
「文学は魂の叫びだ!」とかいう常套句と同様にダサい。
しかし、それを否定してしまったら、小説である意味がなくなると思う。

「私小説」を卒業してしまったら、
それは「小説」を卒業してしまうことになる。
つまり小説について語ることなんて、その時点でもう何にも無いのさ。

140 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 01:47:20
>>139
>しかし、それを否定してしまったら、小説である意味がなくなると思う。
小説⊃私小説? 私小説⊃小説?
言ってることが作家の態度や内面についてであって、
小説の形式とは関係ないような?


141 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 08:29:04
>>140
例えば、一首の短歌で、
推理短歌というか、「名探偵が殺人事件を推理する」というようなことを
表現することはできないだろう。
形式が内容を規定する。作家の態度や内面も規定する。

そして、実は、「私小説⊃小説」なのだ。
私小説みたいな小説イヤだなぁ、っていう作家は、「句会の不良」っていうか
「何らかの本意じゃない理由によって、句会に参加されられていて
七五調なんてイヤだなぁ、と思いながら、俳句を読まざるをえないので
破調や破格で詠んで抵抗してるヤツ」なんだよ。
不良は、学生服を改造するけども、私服で学校来ることはない。
(しかも、不良は、ちゃんと学校に来るwww)


142 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 09:15:34
あほ。
とある文学賞の審査委員が、最近は「主人公が「私」の
小説ばっかりで、辟易してる」って言ってたぞ。

ともあれ、私小説なんて日本ローカルじゃんか。
西洋文学では、作家の内面吐露なんてのは、
はっきりいって評価低いし、虚構作品を作家の内面と
考える解釈や批評も今ではバカにされる。

143 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 09:23:58
つか私小説しか読んだことないやつは、この板来るなってカンジ

144 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 09:36:23
>>141
発想が高校生なんだよな。

145 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 09:56:37
「私小説=作家の内面吐露」じゃねえしょ?
だいたい、作家の内面ってなに? とくべつなもの? 
妊娠? 戦争? 恋愛?
そんなものが松茸ない人間なんていうのはありえねー。

私小説というのは作家の小説に対するある種の態度にすぎない。
読者はそれが私小説かどうかというのはあらかじめ知らされていない
かぎりわからないし。虚構か私小説かなんてどうやって区別つけるの????

私小説の問題とはまずは作家の小説に対する態度の問題であることを
確認したい。その上で、それがどう読まれるか?というのがある。

つまり、私小説とは「形式」にはなりえないんでわ?



146 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 10:06:39
Attica
Attica is
Attica is in
Attica is in front
Attica is in front of
Attica is in front of me
is in front of me
in front of me
front of me
of me
me

147 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 10:25:18
>>145
いや、だから、小説という形式が、その「態度」を要求するわけさ。

148 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 10:30:24
私小説が嫌いな人は、小説を読まずに
ロマンやノヴェルを読んでください。

149 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 10:33:54
>>147
うーん、わかるような素直にウンっていえない僕って。

「私小説」の定義ていうか、ありようをもうちっとデオドランド
してみてそくれませ。

あー、図書館いこ

150 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 11:30:28
このスレもだんだん無知な輩が増えてきたな。

151 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 13:55:22
>>150 お前がそのトップランナー

152 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/13(水) 14:30:22
 小説は全てが叙事文学ってことでいいんじゃない? そうじゃないのって筒井康隆さんの人名ばっかりずらり
並べた短篇くらいしか思いつかない。短篇と小説ってのも同じ小説だって言っちゃっていいかの問題もあるし。
 あ、でもあれって人名で自分が生まれてからのことを語っているわけだからあれも叙事文学だといえるかも
しれない。えーと、確か『名詞による十二歳までの自叙伝』だったかな作品題。うろ覚え。だれかよんだひといない?

153 :ワーグたん:2006/09/13(水) 15:01:27
最後の伝令収録のやつだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww読んだっつうか見たwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

154 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/13(水) 18:37:32
>>153ワーグたん様 フォローアリがト。

155 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 21:22:38
>>149
私小説の定義と言うのは難しいな。

作家らしき人物の実体験を素材に(事実に忠実に?脚色ありで?)書かれた
小説。と、とりあえず言ってみる。

しかし、これだと、作家らしき人物の実体験である、ということを
テキスト外情報で読者が知ってる、ということになってしまい
テキスト外をアテにするのは、文学的じゃない、という批判が来そうだな。

あと、必ずしも一人称じゃなくてもいいだろう、とか。
WIKIPEDIAにもそう書いてあったけど。

実体験といっても、ただ他人のことを傍観してた人が
自分(をモデルとする人)が主人公じゃない、
「他人の経験」をもとにした小説を書いたら
それは、どうなるのだろうか。
その他人に感情移入したから、そこに、書き手が仮託されてるから
結局は私についての小説だ、とか。
あるいは、そんな傍観者としての私がいました、っていう私小説なんだ
とか言えるかな。

156 :↑の修正:2006/09/13(水) 21:25:40
作家らしき人物の実体験である → 作家らしき人物の実体験が素材である

157 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 22:18:42
> 「他人の経験」をもとにした小説を書いたら
>それは、どうなるのだろうか。
伝記とか評伝とかと呼ばれたりするわなあ。

ところで、小説は、作家なり他人なり、現実に存在するモデルの人なり
体験が前提となるってのはどっからくるわけ?

最初から最後まで虚構だとなんか都合悪い? 小説のなかの人称が「私」
であったとしても、それが作家であるとは限らないんだし。

158 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 22:25:20
というよりリアリティって
そんなに必要ないんじゃないか
と思うよ
窮屈だよな
もしかしてそれが衰退の原因?

159 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/13(水) 22:27:04
 私小説かどうかなんてこのスレッドではどうでもいいかと思うんですが。

160 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 22:44:45
出鱈目なのにホントらしく見える手品が
リアリティだと決め付けるところが不自由なんでしょーね
もっと自由であってもいいのではないか

161 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 23:34:36
不自由な自由が萎縮させるんですよ
もっと自由であれかし

162 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 23:40:06
んーん
まぁ
フロイトの後に
シェイクスピアは生まれなかった
ということですよ
にゃははは

163 :155:2006/09/13(水) 23:51:47
>>157
いや、>>155は「私小説」の定義の話だから。
小説一般の話じゃなくて。

164 :吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 23:53:58
心理学というあらたまった学問がでてから
文学の自由度が失われていった、
と見た方がいいでしょうね。
逆に言えばもともと文学が研究対象だったのに
文学が逆行してしまっている現実も見逃せないわけですよ。

165 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:04:32
うんなわけない。表現主義やダダはフロイト以降。
文学を心理学と切り離せよ。トーマスマンもフロイトよりあとの作品
のほうが有名。
いっとくが心理学自体はフロイト以前から存在してたよ。

166 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:14:17
>>163
>テキスト外情報で読者が知ってる、ということになってしまい
>テキスト外をアテにするのは、文学的じゃない、という批判が来そうだな。
そうなんだよ。まさにそこ。
だから私小説っていうのはそれを書く作家の態度のフレームであって…。
以下反復せず。

心理学にもいろいろあるしね。。。ただ、作家があんまり心理学っぽく
なりすぎると作品がつまらなくなる・・・のかな?

どう?

167 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:17:45
人間に興味のない文学者がいるわけはない


168 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:18:08
作家の態度ってのもなあ。不自由といえば不自由だよな。
作品は作品で、作家から切り離されたものだし。

169 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:19:06
>>167
して、その根拠は?

170 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:23:19
>>167 ムツゴロウ先生は動物と麻雀と愛人にしか興味ないぞ。

作家の態度というか、やる気の根拠というか、さ。

既出かもしれんけど、私小説の源流ってどこ?
というか、日本の文学は「私」だったようでもあるなあ。
古くから。神と対峙した私、じゃなくて、ただの私。

171 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:27:33
>>169
という質問する前に教えて頂きたい
人間に興味のない文学者がいるのか、と。

172 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:30:09
久々に中島みゆきを聞いているのだが、あのヒトの声って最初から
泣いているんだね。
この前ラオスの歌手が来日して義理でコンサート見に行った。
最後にピアノ弾き語りで中島みゆきの『時代』を歌った。あれは泣けた。

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど・・・・
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑ってはなせるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風にふかれましょう
回る回るよ 時代は回る 喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも 生まれ変わってめぐり合うよ

これをね、ラオ・ピープルに歌われるとつらいねえ。
また下手なピアノがねえ、切実なんだ。おいちゃん、泣いちゃうよー。
投下された爆弾の量はカンボジアより多いらしい。
アメリカってまだ、ラオス空爆を認めてないんだよな。
しねや。

173 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:46:40
>>171
いないお

174 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:00:01
>>171
いや、君に反対してるんじゃなくて、そこまで断言するのだから、
その根拠を君の言葉で聞きたかったのさ。

175 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:04:35
ラオ・ピープルの根拠などどーでもいいんでは
ないのかな

176 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:06:29
>>170
「私小説」の源流? 用語上はIch-Romanの誤訳だが。

>日本の文学は「私」だったようでもあるなあ。
つ源氏物語。
日本の「私小説」自体は新しいものだろ。

177 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:11:19
というより、小説自体が日本の文学的伝統のなかでは比較的新しいもの
だわな。
滑稽本や芝居を除けば、もっぱら和歌俳句なんだから、
そのいみでは日本の文学は「私」ってのは説得力あるなあ。

小説は明治期にヨーロッパから輸入。当時のヨーロッパは
写実主義全盛期で、世界とか理想とかをぶちまけるような作品は
少なく、
変動の時代を描く社会小説か、作家の身の回りの世界を細々と
描く作品が主流だった。ってものあるかも



178 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:11:43
>>175
まぉそーゆことですよ
だいたいしねやなんて呪いのことばでしょ
あなふたつなんだとよ
そーゆーのって

179 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:22:56
>>176
「源氏物語」はそうだけど、日記文学とかさ、「私はこう思う」みたいなことを
叙述するものって、多くなかった?

逆に虚構性というか、非わたくし的なものは少なかったと思うが。。。

芭蕉だって私の旅、だし。人生儚いのおとかいいながらも、中心にあったのは
「私」じゃないかな、といってみる。明治以降の「個人」とはまたびみょー
に違う意味で。

>>177 でしょ? 僕もそう思うんですよ。
「雨月物語」みたいなのはあったけど、あれは中国からの流れだし…。
日本の文学の底流には「私」が流れいてると思うなー。
その私は西洋とは違って、神不在の私であって、ハイデガー的な
「存在」ではまたないんだよね。ハイデガー詳しくないんでおそるおそる
いってるんすが。



180 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:34:21
柄谷は「フィクションを書こうとしてる作家が結局私小説に敗れるのは・・・」
って勝手に私小説勝利宣言してますが

181 :芥川先生にご登場いただきました:2006/09/14(木) 01:34:27
Ich-Roman と云う意味は一人称を用いた小説である。必ずしもその「わたくし」
なるものは作家自身と定まってはいない。が、日本の「わたくし」小説は常
にその「わたくし」なるものを作家自身とする小説である。いや、時には作
家自身の閲歴談と見られたが最後、三人称を用いた小説さえ「わたくし」小
説と呼ばれているらしい。これは勿論独逸人(ドイツじん)の――或は全西
洋人の用法を無視した新例である。しかし全能なる「通用」はこの新例に生
命を与えた。「門前雀羅を張る」の成語もいつかはこれと同じように意外の新
例を生ずるかも知れない。


182 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:35:23
>>180 kwsk

183 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:53:00
>>182
つ「反文学論」

184 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 01:56:43
>>183 thks 今度図書館で探してみる。

185 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 02:08:31
イッヒロマンポルノでイッヒッヒ!

186 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 05:21:23
>>184
未読なら 日本近代文学の起源/柄谷 も、ついでに読むといいよ。

187 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 07:34:13
しょせん批評家の独断でしかないが

188 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/14(木) 07:41:22
>>177様 すでに存在してたんじゃないの日本には。そうとしか思えないこの専門用語の定義における不自然
さは。


189 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 07:43:17
当時流行中の自然主義文学とやけにマッチしたんだと思われます。


190 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 07:53:27
「小説」とは言われていないが、小説とみなしうる虚構文学は
近松なり馬琴なり西鶴なりが既にいたわな。私小説のカテゴリ
には入らんけどな。


191 :女体を掻き分け源一郎 ◆YKHg3L.ez6 :2006/09/14(木) 20:39:48
>>135

同情するなら賞をくれ

192 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 21:03:26
いや、同情して無いだろ、才能あるってことは
賞などもらわず切磋琢磨したほうがええってことや

193 :宮台を批判するときの小田晋の顔 ◆erzM4Z.aqo :2006/09/14(木) 21:24:41
>>192
>賞などもらわず切磋琢磨したほうがええってことや

そうはいってもコネのひとつもないとキツいな。



194 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/14(木) 23:07:55
>>190様 でも日記の伝統があるよね。先進国だよねこの点について日本は。

195 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 23:51:51
残念ながら日記の伝統は西洋にもある。
東方見聞録とかガリア戦記とか……。
旅日記の他にも18世紀ごろの文学者の日記はよく残ってる。
(出版を意図したも、もそうでないものも)

それとは別に自伝の伝統がある。告白録とか

196 :吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 23:53:55
新約聖書の福音書だって紀行みたいなもんだし。

197 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/15(金) 00:08:15
>>195様 土佐日記は? 更級日記は?

198 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 00:10:27
だれも日本に日記の伝統がないとは言っとらんだろう。

199 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/15(金) 00:20:15
>>198様 ごめんです。

200 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 00:38:03
さてと。。。。

201 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 00:57:16
で、ルカーチに話を戻すか。

ルカーチは20世紀初頭のマルクス主義者。彼が「小説」と
いう場合は、おそらく、市民生活を長々と描く長編小説であり、
その小説で描かれる市民をとおして、社会のあり方なり
歴史の変動なり市民社会的歴史哲学が叙事的に描かれてゆくっ
てとじゃないの?

日本文学ではなんだろうなあ。司馬遼太郎みたいなのを
イメージした方がいいのかなあ。

202 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 01:05:40
司馬にこだわるのう。竜馬がゆくとバカボンドしか読んだことないからのう。
花神も読んだか。
しかし司馬はサヨじゃないのう。サヨか? 

サヨだな。

203 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 01:13:33
俺が書いてるんじゃない!
民衆が俺に書かせているんだ!

みたいな。

204 :天皇:2006/09/15(金) 01:14:35
ルカーチの話をつづけてくれ

205 :私はピアノ:2006/09/15(金) 08:34:14
この先どないせよ、というの叙事

ん〜、そんなこと知るかいな

206 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 09:30:50
ルカーチの著書には「魂と形式」っていうのがあったよな。
形式が魂を規定する。小説は過去形が基本。
だから「宇宙人が攻めてきた」なんて書いてるのは、イヌSFだ
っていうようなことがかいてあるんだよ、きっと


207 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 09:33:57
叙事が来た日にゃ良い一日だあ、叙事はオラがさ村の自慢っ娘

208 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 09:55:27
お犬様

209 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 11:36:48
イヌSFの「イヌ」は、SFの枕詞

筒井が、自嘲的&差別的に使ったのに端を発するが
こんにちは、そういう意味は無い

210 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 13:26:55
When Josie comes home
So good
She's the pride of the neighborhood
She's the raw flame
The live wire
She prays like a Roman
With her eyes on fire

211 :彩コング:2006/09/15(金) 13:56:29
スティーリーダンか

212 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 19:19:17
そ。ちなみに今日はBill Evansの命日。朝からずっと聴いてた。
ベストだと思ってる訳じゃないけど、なんでか個人的には
CONVERSATIONS WITH MYSELFをとりわけよく聴く。――こんなの

http://www.amazon.com/gp/music/clipserve/B0000047CV001003/0/ref=mu_sam_wma_001_003/002-7179088-6209666

213 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 22:12:20
ビル・エヴァンスと言えば、クラウス・オガーマン

そういや、昔の彼女がビル・エヴァンスと坂口安吾が好きで
女子高時代にキモオタっぽい先生が、同じ趣味だったんで嫌な気持ちになった
と言ってたな。

214 :幼女狩人:2006/09/15(金) 22:13:27
糞がwwwwwwwwwwwwwwww犬SFてのはだなwwwwwwwwwww犬畜生をもじったんだろうがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

215 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/15(金) 22:21:22
>>214幼女狩人様 ようひさしぶり。貴殿はルカーチさんの見解についてどう思うかね。


216 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 23:14:03
>>183 ゲット読みかけ。私小説。書かれたものはすべて虚構である云々は
別にして、虚構(=小説?)の強度を結果的に支えてしまう事実の力をパカに
するのいくない、お前らってことかな? もしくは徹底的に事実にこだわる
ほーが、かえって事実というもののありようを虚構化(非神話化)できるって
ことだろうか? なんかヌーヴォー・ロマンっぽいかな。

セクス疲れで今日は寝る。


217 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 23:31:05
ひさかたの光、たらちねの母、お犬様SFって感じだろ?

218 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 23:34:33
>>209「士農工商犬SF」ね。


219 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 23:35:55
>>212
ビルエヴァンスgood!
次は、叙事ウィンストン(ウィンダムヒル)をうpしてくろ

220 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 23:55:29
ビルエヴァンス→ジョージウィンストンは…いかんのじゃないでしょうか。


221 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 08:03:21
ほんとうのジャズ→ジャージーなイージーリスニング

ウィンストンはジャズじゃなくてジョジとでも言えばいいのさ

222 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 08:09:16
ジャージー・リスニング。

ECMは最近元気なんだろーか?

223 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 08:37:56
ビルエバンス=純文学
叙事ウィンストン=犬S(ry

224 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 09:17:33
>>1
>「ある程度、事実の裏づけのあるフィクション」じゃないのか?
この「事実」は誰にとっての事実なのか

225 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 09:31:25
>>224
作者だろうね。
もちろん、いわゆる私小説みたいに、作者らしき人が主人公じゃなくても
たとえば男性作家が女性主人公を書く場合でも、
自分を仮託できる女性がいて、その人にとっての事実を元に創作する。
それは、やっぱり作者にとっての事実でもあるわけだ。

例えば、二人以上(たとえば香織ちゃんと早苗ちゃん)の女性の
この部分とあの部分を合成して、良子ちゃんというキャラを作るとかそういうのは
あるだろうけど。

226 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 09:38:12
レスありがとう。

では、>>1の「小説はフィクションではない」というのは、作者、作家に
とって、小説は純然たるフィクション(虚構)として「書くこと」は
不可能であるっていうことだろうか?

227 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 10:56:57
>>226様 いやいや虚構かどうかという問題じゃなくて出来事を記述する形式という点で叙事なのでは?

228 :226:2006/09/16(土) 11:44:44
>>227 すまん。上にあった空谷の「反文学」での私小説についての
くだりを意識して書いたもんで説明不足だったか。

まぜっかえすかもしれないが、「出来事じゃないこと」ってなんだろう?

229 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 12:39:49
>>228 226様 いまのところ流れ上、数式とかプログラミング言語ではないかということになっております。

230 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 12:41:03
 あと時間割とか予定表。新聞のラテ欄。

231 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 16:09:58
>>230 ううむ。そのようなものどもは小説とは無縁なのではないでしょうか?
むろん、そのようなものどもをネタに使うこともできるのでしょうが。

小説とは「出来事を記述する形式という点で叙事である」というテーゼから、
どのような小説的・文学的展望を描いていらっしゃるのでしょう?
何か新しい地平が? もしくは展望台が? もしくは潜望鏡が?

232 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 16:21:26
>>231様 だからそのようなものは小説ではないけど文学であることは間違いない。展望はねえ、プログラミング
言語とか数式で何とか出来事を表現する方法はないかなあと思ったんですよ。出来たほうが自由だし。

233 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 16:22:40
 ラテ欄は断片的には使えそうな気がするそれこそ佐木隆三さんが新聞記事使ったみたいに。

234 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 16:25:47
ううむ。できたとしても、それはふつーの言語のアナロジーか、
もしくは美術の領域の話になるような気もするけどな…。
まあ、文学の範疇をそうやって仮説的に広げることによって、われわれの
使っている小説言語なり小説的態度を、逆に浮かび上がらせたりする…みたいな
ことは可能かもしれませんが。



235 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 16:32:15
>>234様 ごめん、ラテ欄叙事的側面が強い。二時間サスペンスドラマなんかもう叙事そのもの。

236 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 16:36:17
まあ、まんま使っているからね…。新聞といえば、
駅五徒歩十分小学校近スーパーあり
みたいな不動産の囲み広告みたいなのもあるが、このあたりは筒井康隆
とかがいじりつくしたかも。

小説のネタとしては使えるが、それだけで書くっていうのは難しいような。
数式とかも。


237 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 17:55:56

カッコつけて、アフォリズム風に言うと

通俗的な小説は、嘘が書いてある、という感じがする。
純粋な小説は、嘘『も』書いてある、という感じがする

もちろん、ここでいう「通俗的な」とか「純粋な」っていうのは
出版社が、どっちの路線で売り出してるのか、とか
俗世間で言う「直木賞」vs「芥川賞」というのようなのとは
無関係な話でね。

238 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 18:05:08
>>226
俺はそう思うなあ

239 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 18:28:46
つまり、作家は自分の経験や内面からは逃れられないということは自明で
あるはずなのに、あたかもそれが可能であると無邪気に思ってしまいながら
書いてしまうことが、結果的に最初から私小説を目して書いている
作家の作品よりも、劣ったものを作らせがちだということかな。
ちょっと違うか。

240 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 18:41:03
>>239様 それがすなわち叙事的だということなのでは?

241 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 18:47:24
>>のぼるくん

叙事的文学ってよりも、「作家の叙事的態度」じゃないのかなあ? 
作家の。
読むほうにはあんまり関係ないんじゃないか? 

今夜は外出酒飲み。

242 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 18:53:29
>>241様 そういうことを考えた。そういう態度を持った、って出来事が成立すると思った。

243 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 19:02:06
>>237
通俗的と純粋についももうちっとkwsk

244 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 19:08:09
>>243
要するに、優れた小説=純粋、優れてない小説=通俗的ってこと。

245 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 19:10:40
>>239
同意。
違わないと思います。

246 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 19:35:49
>>のぼるくん
その出来事は作家の出来事だよね?

よし、じゃあ、私小説書くか!

では…
「酒飲みに逝ったら日にちを間違えていた誰もいなかった鬱。」

逆に言うと、「フィクション」が成立する要件とはなんだろう?
小説においてはありえねー? ほかは?

247 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 19:58:19
柄谷は「反文学論」のなかで、こういうことも言ってた。
たしか中島梓の評論に触れて、
「小説はいやらしくも奇妙な視点というものがあって〜ヌーボーロマンが云々(中略)
〜演劇(文脈上、演劇というより戯曲のことであろう)は
その意味では、はるかに自由な形式であって〜」

この「視点」が在るっていうことが、
小説を純然たるフィクションにはさせない「不自由さ」であり
特質でもある、と思うんだけど。

だから、
>>246>「フィクション」が成立する要件とはなんだろう?
に対する答えとして
「視点が無いこと」
というのはどうかな?
視点が無い、というのと、「内面」が無い、
というのは同じようなことじゃないかとも思う。

248 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:03:12
戯曲は神視点だからだよ

249 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 20:06:58
>>246様 というか言語表現の特性上、言語化した時点で全てフィクションになってしまうともいえるかも。

250 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:15:58
>>248
神視点。その言葉、よく聞くんだけど、それは、
いろんな登場人物の内面に出たり入ったりできるってことなんじゃないの?

戯曲は、内面に入らないような気がする。
登場人物による独白はあるか。

251 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:49:21
>>247
「視点がない」っていうのは作家が不在であるように読めるってことかな?
視点がなければ、内面はない。しかし、作品がある場合、それが
内面を使って書かれたものであるにせよ、どこかから(たとえば壁紙から)
切り取られたものにあるにせよ、「輪郭」はあるんじゃないかな。
で、その輪郭が結果的に内面を作るような気もする。「視点のなさを
演出する手つき」っていうのかな。
これは小説がなんだかんだいっても、「モノ」であってしまうことなのかも
しれないけれども。一定量をもってしまうという。読む側からすればね。

戯曲か…。たしかに神の視点とかって言われるね。僕はむしろ、戯曲の「ト書き」
にそれを書いた作家の内面っていうのかな、その登場人物や発生する天変地異やら
との距離などを想像させて楽しいね。
ドイツの劇作家、ハイナー・ミュラーなんかはそのあたり(戯曲のイデオロギー)に
非常に敏感な作品を書いたいたけど手元にないな。


252 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:51:17
>>249 たしかにそうだけど、いまんところのこのスレの話だと、「言語はそもそもフィ
クションである」ってあえて言わないで、虚構のあり方を考えるって
流れじゃないかなーって思います。


253 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:52:44
ハイナー・ミュラーね。メモメモ。

254 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:53:24
内面と外面の問題は非常に面白いね。内部と外部といってもいい。
これはね、じいいいいいっくりと考えるに値する問題だね。

255 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:55:26
>>252
そうそう。そういう流れ。

256 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 20:58:31
ウディ・アレンの映画「アリス」だっけな。
シナリオ教室の授業風景が出てきて、
「小説とは内面を書くもので、脚本とは表面を書くものです」って
講師が言うくだりがあって
「我が意を得たり」と思ったことがあった。

257 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:04:19
>>253 ハイナー・ミュラーの代表作はたしか「ハムレットマシーン」。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4624700708
演劇方面ではいっときかなり話題になってたけど、最近はどうなのかな。
日本での初演は1991年。実は…まあいいやw

西堂行人って人の「テクストの解体/解体するテクスト」っていう
文章が参考になるかも。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/aict/myweb1_015.htm

258 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/16(土) 21:06:11
>>252様 ごめんごめんあくまで出来事の有無ね。

259 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:07:18
西堂氏からちょっと引用。今読むとけっこういいこと書いてるなあ。

5、不可能性のテクスト〜ハイナー・ミュラー
 演劇のテクストがそのままでは絶対に上演不可能なレベルで書いた
のが、ハイナー・ミュラーです。彼のあるテクストではセリフやト書
きという言葉の身分が消滅しています。セリフを俳優が喋り、ト書き
は俳優の動きや舞台空間の配置を指示するものだという約束事は最初
から放棄されています。ミュラーは当初から上演を前提に書いていま
せんでした。 
 ただ彼の脳髄に浮かんだ劇的イメージを紙に書き付けていくと、次第
にそれが読んだ者をして上演への欲望を掻き立てていく刺激的なテク
ストになっていったのです。
 『ハムレットマシーン』は対話が不可能になった後の独白という
形式です。しかしその独白は主体が固定されず、どこで誰が喋ってい
るのかさえ特定できない。ときに、話者はタイプライターと化して外
で進行している状況をほとんどオートマチックに記述する。あるいは
出番の終わった俳優が舞台の出来事をシニカルに論評する。すでに対
話による論戦という「幸福な劇」は放棄されています。いやそうした
論戦自体、ベケットの登場によって終焉したのではないか。劇的対話
が無効になった後の白々としたモノローグ。ミュラーのテクストには
人間相互の絶望的なコミュニケーションの状況が埋めこまれています。
 作者はこの地点で何も主張していません。主張そのものを放棄して
いるとさえ言っていいでしょう。そこに言葉という残骸=断片がある
ばかりなのです。こうした言葉のあり方こそ、テクストが他ならぬ
テクストでしかない、第三番目の段階と言っていいでしょう。この
テクストの受容者は、テクストを読解し、自分の領域に翻訳し、その
上で舞台上に変換せねばならない。作者は最終現場で棄て去られる。
作者の死が確認されるのは、この地点においてです。

260 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:11:30
ない頭を必死に使うと疲れるなー。休憩。
スタバで甘いものでも飲んでこよう。


261 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:12:04
>>257>>259
サンクス。ちょっと難解そうだな〜

262 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:18:05
>>261
たしかに難解だよねえ。キリがないからとりあえずスルーしてください。
思いついたからメモがわりに、みたいな感じで貼っただけだから。
あくまでも何かの参考に、です。
西堂氏の文章、ちょっと酔ったところもあるしね。
>作者の死が確認されるのは、この地点においてです。
なあんてカッコイイこと、なかなか書けないよなあw

263 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:22:23
>>256 「アリス」見てないなあ…「バナナ」すら見ていない(涙

>>258 出来事というか、小説を「宙吊り」とかにしないで、あくまでも
ベタで語るというですね、そんな感じなのかな…。
もう、土木工事みたいなもんですw

264 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 21:35:47
>>263
>アリス
映画自体は全然面白くないから大丈夫>アリス
このころのアレン映画の中では群を抜くつまらなさ。

265 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 22:44:50
>>264 そうですか。じゃ、いいや。
アレンの書いた脚本表面云々とは、役者に内面をセリフで語らせてしまうこと
を戒めているんだろうな。

さて。話を螺旋的に元に戻すと。

実は、>>247が「文脈上、演劇というより戯曲のことであろう」と指摘していた点について
気になっていた。校正のミスはありえないし(「反文学」は単行本化、文庫化などで
何度も校正されているはずだし)、柄谷が戯曲と演劇をごっちゃにしていたとは
思いにくい…いや、そうかもしれんのうと思いつつ、

さっきスタバで「日本近代文学の起源」を読んでいたら、「II内面の発見」において、
「演劇の改良」について書かれているのを見つけた。

明治の文学史を小説に偏した眼でみないならば、「演劇の改良」こそ云々。
「演劇の改良」や「詩歌の改良」は、共時的に「言文一致運動」云々。
そしてそれが「内面」の存立へと…みたいな。

するとやはり、>>247の引用は「戯曲」ではなく、「演劇」と読むのがいいかと
思われてくるのであつた。で、じゃあ?と聞かれても困るのだがw
あっしは演劇の専門家でもないので。


266 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 22:59:18
「演劇の改良」を「戯曲の改良」ではなく、(市川団十郎の)「演技の
改良」としているところがポイントのような…。身体の話になっている。


267 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 23:34:05
出来事でないこと、ってのも曖昧だね。
「出来事の叙述」として考えてみると、
ある出来事、事件の経過などが、時系列に添って描かれてると考えてみる。

すると、
「モノローグ」形式でただ内面だけが提示されるもの。
ある出来事を扱っていても経過に重点が全く置かれないもの
がそれにあてはまるだろう。

エッセーやスケッチなどは叙事文学には入らない。
朔太郎の散文詩や漱石の夢十夜や文鳥も叙事文学ではないし、
ボードレールの巴里の憂鬱もそう。

内面を重視する人が多いけど、重視ってのは文学史的には近代的な考え方で、
叙事形式のほうがはるかに長い伝統を持っている。
なので、内面と叙事を結びつけるよりも、内面重視は叙事に対する
アンチテーゼの一つと考えた方がいいんじゃない?


268 :吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 23:54:15
>>265
>柄谷が戯曲と演劇をごっちゃにしていたとは思いにくい

 柄谷の本だったら「差異としての場所」 所収の「唐十郎の劇と小説」も、
「私は小説が嫌いだ。なお、このことは、詩や演劇が好きということを
意味しない」というような文で始まっている。
彼は「文芸」評論家なのだから、普通だったら、
「詩や戯曲」と書くところだが、そのように書かないということは
戯曲と演劇をごっちゃにしてる(区別してない)フシがあると思う。
 実際、英語では、dramaという語でも、playという語でも、
「文芸としての劇」と「演じられた劇」を区別してない。
日本語でも「ギリシャ悲劇を読む」とか「芝居を書く」とも言うし。

そのわけは、こういうことなのではないだろうか。
戯曲とは、文字の書かれた紙の束で、物理的には(容積も質量も)小さい存在だ。
いっぽうで演劇は、台の上での人間の運動だから、物理的には大きな存在だ。
物理的は、戯曲より演劇が大きい。
しかし、漱石の言葉にも、
「宇宙は広い、しかし我々の頭の中はもっと広い」というのがあるらしいが、
それと同じように「演劇より戯曲のほうが大きい」。
物理的な存在としての文学とは紙の束の上の文字の配列にすぎないけど、
読まれてはじめて文学たりうるのだから、「文学といふ現象」は、
読まれたときの読者の「頭の中」、または書いてるときの作家の「頭の中」である。
宇宙より広い「頭の中」なんだから、演劇(=台の上の人間の運動)より当然デカイ
戯曲が大鮫で、演劇のほうがコバンザメ。

269 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 00:20:26
>>268のことは、
たとえば、古典劇の戯曲は、何百、何千年という歴史を経て残ってる一方で
実際の芝居の上演は、その場かぎりの刹那なものであることや、
その戯曲の著者の名前は歴史に残ってるけど
演出家や俳優たちの名は、それほど残ってないということを考えると
納得できるのではないだろうか。


270 :宮台を批判するときの小田晋の顔 ◆erzM4Z.aqo :2006/09/17(日) 00:21:16
>>268
>コバンザメ。

コバンザメは島田雅彦じゃないのか?

271 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 00:27:52
戯曲:演劇用の台本。要するにテキスト。
演劇:戯曲を元に役者、舞台監督などが演出を加えた上演形態。
と考えれば?
実際、シェークスピアみたいな古典作品を現代的な演出にするケースは多いし、
ワーグナーのオペラなんてだいたいそうだし。



272 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 02:05:40
>>271

では、その分け方に従ったときに
>>247に立ち戻って、視点が無いのは、戯曲か演劇か、どちらだろうか?と
考えてみる。

むしろ、演劇のほうに視点が在るのではないだろうか。
例えば、演出家は、戯曲に従って演出をするときに、
重要な台詞や動作をする俳優に照明を当てるとか、一歩前に出させて台詞を
言わせるとかする。これは「視点」であろう。
劇映画であれば、カメラワークの指示やカット割りに対応するものだろうから。
もちろん、戯曲やシナリオに、照明やカット割りの指示が書いてある場合も
あるけど、たいていはそんなに細かくは書いてない。

「反文学論」に戻ると、>>247の引用部分は
「中島梓が、現代的な表現の例として、山川健一、村上龍の小説や
漫画の『ガキでか』や、つかこうへいの”戯曲”について考察している」
という流れででてきた話で、
それに対する批判として、
「まず、小説と演劇の違いについて考えるべきだった」と続き
>>247の引用部分に至った。
戯曲から出てきた話から演劇についての話にいきなり移ってしまってるので
やっぱり、戯曲と演劇の区別はあんまり付けてないと思われる。
それらは、一連のプロセスであって、不可分なものと見なして話を進めてるんじゃ
ないかと。
で、柄谷は文芸評論家だから、言葉では「演劇」と言ってるけど
念頭に置いてるのは、戯曲のことかな、と思ったしだいです。

273 :272:2006/09/17(日) 02:33:22
>(後半の)「それに対する批判として」

「それ」というのは、中島梓の考察のこと。念のため。

274 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 10:34:00
うー、飲みすぎた。もう朝か!

>>272
中島梓がふれているつかこうへいの作品って気になるところですね。

>で、柄谷は文芸評論家だから、言葉では「演劇」と言ってるけど
>念頭に置いてるのは、戯曲のことかな、と思ったしだいです。
うん、それはとても素直な流れだと思うんだけど、>>266にも書いたように、
「日本近代文学の起源」では、演劇の改良を、「戯曲がこういう風に書かれるようになった」、
ではなく、「市川団十郎の演技」にこそ見出している点が気になるんだ。
引用されている伊藤整の「日本文壇史T」の文章も、「また身体を徒に大きく動かす
派手な演技よりも、精神的な印象を客に伝へる表現を作り出すのに苦労した」という部分が
ポイントとなっている。
だから、少なくともこの部分においては、「戯曲」と読み替えるのではなくて、
素のままで「演劇」と読み、その意味について考えるほうがいいかなという
気がするんだ。

「演劇の視点」については、たいていの場合演出家はステージの正面に座って
指導しているよね。つまり、観客の視点っていうことだ。
演劇の視点とは観客の視点なのではないかな、とふと思ったりする。
演劇においては、劇場のどの位置で見るかによって、物理的に印象がぜんぜん
違ってくるんだよね。演出家は真ん中の位置で演出しているんだけどね。
あんまり演劇の話になってしまうのもいかんけど、「内面の有無と視点の有無について」
というライトモチーフにこだわって、ちょっと書いてみました。


275 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 10:47:07
>>273
>例えば、演出家は、戯曲に従って演出をするときに、
ここがひとつのポイントだろうか。
演劇には脚本家と演出家がいるんだよね。ふたつのフレームがある。
戯曲=演劇では、本来的にはないんだよね。だからこそ、他の演出家による
「再演」が可能なんだ。○○版マクベス、みたいな。
もちろん、戯曲家と演出家が同じ場合もあるけどね。野田秀樹とか、
つかこうへい、唐十郎みたいな作家はこれにあたるね。純粋に演出家として
名が通っているのは蜷川くらいなのかなあ。

276 :275:2006/09/17(日) 10:56:15
他人のレスをちゃんと読めよ、俺!
再演可能性の話は>269 >271あたりでキシュツでしたね。
二日酔いバカ頭orz

277 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 10:58:16
>>274
なるほど。

278 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 11:03:33
伊藤整の「精神的な印象」ってのもキーワードかな。
「精神的な印象=内面がある」ということか。

279 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 11:18:46
「演出、演技」と「小説」っていうのは
類推的に語れるところがあると思う。

280 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 11:57:07
同意。類推的に語ることによって、運動が生まれ、思考を前に進める。
鏡、つうやつかな。
そういやあ、タルコフスキーの「鏡」の冒頭の発話の場面…何度見て
も鳥肌が立つよ・・・。あの少年の言葉は、モノローグなのだろうか?

さて、柄谷は「日本近代文学の起源」において、

団十郎の
「新しい演技」=「写実的」→「顔(風景)の発見」→「内面の発見」という
流れを、言文一致運動となぞらえている。

それは団十郎という作家/演出家が特有の「新しい身振り」/「新しい文体」
を発見した、ということになるのかな。
ここでいう文体とは「新しい制度」でもあって、その制度を受け入れる
素地というか、そもそも制度を制度たらしめるためには、それを支える世間が
ないといかんわけだね。
このあたり、卵か先か、鶏が先かという話になってきちゃうんだけど。

のぼるくんが数式などを使った新しい文体を作ってくれることを期待するかw

281 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 13:02:13
>>280
タルコフスキーは、「惑星ソラリス」「ストーカー」くらいかな、観たのは。
ソラリスは好きだけど、ストーカーは正直きつかった。
最後の、少女がコップを念力で動かすシーンで、「待ってた甲斐があった・・・・」
と思ってしまった。
「鏡」はテレビで放映したのを、ちょっと観たかな。


282 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/17(日) 13:11:33
>>280
ถ้าได้แล้วしてもさ、 คนอ่านไม่เข้าใจだったら、
ต้องคิดทำยังไงตลอดไปしていかなくちゃならないわけじゃん。

 数式なんて日本人にとってのタイ文字とおんなじで受容できる共通コード
じゃないんだから。

283 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 13:16:56
>>280
やっぱり、演技=文体という感じなのかな。

蓮實重彦の「小説から遠く離れて」というのを読んだことがある。
示し合わせたわけでもないのに複数の作家が同時期に似たような物語構造(双子の宝探し)の小説を書き出したので、それの作品を比較する。
要するに、型とか構造の存在を意識してそれを踏まえたうえで突破するのが優れた小説家(中上、大江、龍など)で、
自分では独創的な物語を語ってるつもりで型にはまっていくのが
凡庸な小説家(春樹、井上ひさし、丸谷才一)というようなことが書いてあったと思う。

この「物語構造」というのを「脚本」と置き換えて、
「小説家」を「演者」と置き換えると、
「優れた小説家」=「脚本をよく読んで理解し、自己演出もできて個性を発揮できる演者」
「凡庸な小説家」=「脚本が読めないで自分勝手に動いてしまうから、『制度』という名の演出家によって、人形劇の人形のごとく、あるいは猿回しの猿のごとく強制的に演技をつけられてしまう演者」


284 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 13:31:10
>>281
>タルコフスキー

は、最初は挑むようにじっくり観て、途中で居眠りして、
目が覚めたときは終わってたっていうのが正しい見方だと
映画通に説教されたことあるよ。


285 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 14:28:58
>>281
>最後の、少女がコップを念力で動かすシーン
「惑星ソラリス」で夫婦が浮かぶシーンもよかった

>>282
>数式なんて
それも文学農地に含むって逝ってなかったっけ???

286 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 14:30:38
>>284
封切で「ノスタルジア」をみたとき、まさにそうだったような。
ゴダールの「パッション」と2本立て。あれはきつかった。


287 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/17(日) 14:34:05
>>285様 そうなの含むの。でもそれで自由に情報を編んでそれをよむひとにつたえるのは困難なの。

288 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 16:17:25
>>283
次はハスミですか…本棚あさるのに忙しいスレだなw

>>287
ということは、文体として極めて成立しにくいってことだよね。
でも、ノボルさんの言いたいことは、「そのようなものも含めて、文学として
考えたらどうだろう?」ということなのかな。

289 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 16:26:19
>>283
なにせ古い本だから、その当時の状況(つまり、どの作家がどっちのグループに
入るかとか)とはずいぶん変わってきているような気もするが、
基本的にはそういうことなんでしょうね。
とくに「制度という演出家」という言葉に引かれる。

文体/制度について、疑義を持ちながら書いている作家が優れている
ということだろうか。それが演出にあたる。
たとえ、あからさまな文体実験とかしていなくても。
何を書くか、じゃなくて、いかに書くか、というか。

290 :吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 22:05:36
>>44-45 >>47
例えば、いわゆる近代小説(漱石とか)とエンターテインメント小説比べれば
計量的に示せるか?

http://www10.big.or.jp/~wmc/interview_taguti3.html
現在形の小説について↑

291 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/18(月) 22:40:25
>>290様 漱石の頃は言文一致ホヤホヤだからなあ。漱石と比べるなら黒岩涙香とかと比べなければ
ならないのではないかと思ったりした。同時代エンターテインメントとして。

292 :吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 22:46:38
じゃ、もうちょっと最近でもいい
丸山健二と黒岩重吾とか

293 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/18(月) 22:52:08
>>292様 丸山さんはハードボイルドだしなあ。黒岩さんは読んだことないけど。やっぱり一概に言えない
ってのが僕の見解。そもそも純文学がなんだかよくわかんないし。

294 :吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 06:36:49
命題1
直木賞受賞作の改行の度合い=改行回数/枚数をNとする。
直木賞受賞作のカギカッコ会話文の度合い=カギカッコ会話文の個数(「」の組数)/枚数をnとする

同様に芥川賞のそれらを、それぞれA、aとする。

このとき、N>Aかつn>aである。


さて、この命題は真か偽か。

歴代の受賞作合計の平均で見てもいいし、
ある年代だけを抽出してもいい、としましょう。

295 ::2006/09/19(火) 06:44:58
括線が半角で読みにくいから書き直し

N=直木賞受賞作の改行の度合い=改行回数/枚数
n=直木賞受賞作のカギカッコ会話文の度合い=カギカッコ会話文の個数(「」の組数)/枚数

296 :吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 13:08:34
要するに小説の形式について語るのに
「普通の小説」「標準的な小説」の型とはこういうものである、というのが
析出できないかということなのです。

ある時代に小説はあまりにも力を持ちすぎたため、
新聞記事やエッセイやふだん人々が書く日記や手紙や雑文などにも影響を与え
ほとんど空気のようになってしまっていて、
「小説の形式」と言ってもなかなか分かりにくい。
それはほとんど「文章の形式」と等しいようになってしまってると思う。

297 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/19(火) 13:48:02
>>296様 文体ってのは書く内容とその配置の仕方なども含むといわれてなんか納得した覚えがあります。
文法的なものだけをやってもどうかなと思うんですがやらないよりやったほうがいいと思いますから、興味深い
結果を楽しみにしております。

298 :吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 19:00:55
>>296の冒頭の修正

>要するに小説の形式について語るのに

要するに小説の形式について語るのにあたって



299 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/19(火) 23:22:26
>>298様 ご丁寧に有難うございます。

300 :吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 23:23:32
300げっと?
小説は爆発だ!

301 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/19(火) 23:28:27
>>300様 まあ爆発も出来事なわけですしそうですね。

302 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 02:32:00
タイでクーデター起こったらしいです。

ノボルさん、だいじょーぶ? 日本在住?

303 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 03:31:29
回る寿司食ってる場合じゃないんでは?

304 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/20(水) 04:43:29
>>302様 日本っす。マイミクの人たちの日記見てても、戦車が出てテレビ局とラジオ局を抑えて戒厳令下に
おかれてるだけで、発砲とかは今のところないみたい。

305 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 07:40:28
>>304 そうですかー。いまんとこ流血なしなんですね。
旅行者も真っ青だろうなー。
リアルな叙事。

306 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 11:17:18
芥川賞作家・開高健「裸の王様・流亡記」
乱歩賞作家・西村京太郎「歪んだ朝」

共通点は1930年生まれ

307 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 17:08:18
ルカーチよりベルサーチ

308 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 21:05:25
http://www.ltokyo.com/ohmori/dengonban/dengon0068.html
↑大森望 純文学の定義 改行が少ないやつ(冗談)

309 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 21:25:49
純文学って「貧乏臭い小説」のことじゃないの?
大盛は「キャラとストーリーとアイデア/トリックを抜いてもまだ面白さが残る小説」というが、
それを面白いと思う読者を対象に編集されるから文芸誌は売れないのだろうか。
売れなくてもいいというなら、書きたがる作家を救済するためのボランティアみたいなものだ。
「『文學界』読者の数はパンダより少ない」そんな減らず口叩いてる人がいたよ。

310 :吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 23:45:43
貧乏臭い…なあ。そうかなあ。作家志望者が貧乏臭いというイメージがかつてあったが。

純文学は面白くなくてもいいという気も。

漏れ的定義 純文学=「文学の可能性や不可能性を探求する芸術」



311 :吾輩は名無しである:2006/09/21(木) 05:49:06
>>310
>不可能性を探求する芸術

それは「アニメーター」のことじゃないの?
あの人たちの仕事は大変だ。
佳境に入ると一日何枚ぐらい書いてるんだろう?

312 :吾輩は名無しである:2006/09/21(木) 08:08:21
>>311
アニメーターはやっぱり貧乏くさいよなwwww。
手塚治虫のせいでああなったと聞く。

改行が少ないというのは、「視点が在る」っていうことじゃないのか?
映画に喩えれば、ワンシーン、ワンショットでカット割りしないとかさ。

複数台のカメラで撮って後から美味しい画だけピックアップして編集する映画は
「drama=演劇=戯曲」的で、
一台のカメラで撮って、カット割りするときにはいちいち必然性が求められる
というのが日本やヨーロッパの芸術的な映画で、これは劇映画というより
「小説映画」なんだ。

共同作業である映画は従来の「オリジナリティ」とか「自己表現」のような
概念を疑わせるものであったが、監督が創作主体になることによって、
映画が近代文学(=小説的?)になってしまった、
というようなことを村上龍との対談で柄谷行人が言っている。
ここにも、「演出=director=監督と小説が類推できる」、
というような問題があるような気がする。

313 :吾輩は名無しである:2006/09/21(木) 08:37:00
「スタッフに裁かれ、評論家に裁かれ、お客さんに裁かれ、
最終的にはプロデューサーに裁かれる、裁かれっぱなしなのが監督であり、
裁量権を発揮できるのは作品の中に於いてのみ。確かにしんどいし、
人にほめてもらってナンボのモンだし、映画は席が埋まってないとダメだとつくづく思う」
『innocence』公開に際して押井守がコメントしてたよ。

最近の映画のカット割りはコミックのコマ割りに似ていると思う。

314 :白石昇 ◆ywq0.8TYV6 :2006/09/21(木) 13:43:01
>>313様 それってアーリーヤーさんの映画?

315 :吾輩は名無しである:2006/09/21(木) 23:44:16
>>312
>改行が少ないというのは、「視点が在る」っていうことじゃないのか?
ここでいう視点とは、作家の視点?

村上と柄谷の対談は興味深い。
小説においては完全に監督=作者がその作品を制御できる、
裏を返すと監督=作者でしか制御できない、というイメージがあるが…。

>>313 「イノセンス」は当たらなかったんだよね。映画の借金は並大抵じゃないから
たいへんだろうな。僕の友達の友達の某監督もはじめての商業作品(というのか?)
のために親戚中から合計1千万借金したといってた。幸い、海外で賞をもらい、
単館系だが全国で上映され、ビデオになってレンタル屋にも並ぶようになり、
首を括らなくて済んだとのこと。「でも、ようやくトントン」とか。
映画に比べれば文学なんて制作費は安いものですねw

>最近の映画のカット割りはコミックのコマ割りに似ていると思う。
それは日本映画について?

316 :吾輩は名無しである:2006/09/22(金) 00:07:53
>>315>ここでいう視点とは、作家の視点?

YES。


317 :吾輩は名無しである:2006/09/22(金) 00:11:55
>>315
日本映画はあいかわらず、引きの画と長回しっていうのが多いね。
そういう中には良いものもあるけど、多くは退屈。
結局、それができるのは、監督本人が面白い人である場合に限ると思う。

318 :吾輩は名無しである:2006/10/03(火) 02:44:08
http://www.geocities.jp/ktmtkg2000/review/1055.html

16歳のデービッド・カパーフィールド
ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

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