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☆☆「読書交換日記 《3冊目》〜長文歓迎〜」☆☆

1 :吾輩は名無しである:2006/12/09(土) 22:32:20

本の読了後の感想、意見などを「読書交換日記ふう」に綴るスレです。
長文歓迎します。
荒らし予防のためにも「sage」進行でお願いします。

【前スレ】
☆☆「読書交換日記 《2冊目》〜長文歓迎〜」☆☆
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1143986357/

2 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 22:33:52

1です。

新スレも前スレ同様、どうぞよろしくお願いいたします。

前スレで、一定期間内に20レスつけないと即死判定と伺いましたので、
頑張って感想文をつけたいと思います。
文学板の連投は5レスまでですので、ひとつの感想文で間が空きますが
どうかご了承ください。

3 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:01:17

以下、感想文です。

ブローティガン『西瓜糖の日々』の感想です。
浮遊感のある不思議な世界観を持つ作家ですね。
この世のどこにもない世界で暮らす人々の日常が、日記風にごく短い章に
分けて淡々と綴られています。
人々の関係も濃密さはなく、さらさらと砂が流れていくような淡い関係です。
解説では1960年代のヒッピー族、フラワー・チルドレンの先駆けとして
書かれた作品であり、60年代に入って大ヒットした、とあります。
そうした時代背景を知らずに読んでも充分楽しめる作品だと思いました。

「失われた世界」、「虎の時代」そして、今のアイデスの時代。
おそらく「失われた世界」とはかつての私たちが住んでいた世界ですね。
すなわち、繁栄した文明と法治国家。
そして、次の「虎の時代」とは、弱肉強食の無法地帯。
アイデスとはかつての文明や法が崩壊し、また次の時代が弱肉強食ゆえに
仲間うちで殺戮が繰り返された結果、簡素な生活と仲間内で助け合って生きようと
集まった人たちがつくりあげたユートピア。
ユートピアの真の意味は、どこにもない国。
そう、アイデスとはこの地上のどこを探しても見つからない国なのですね。


(つづきます)

4 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:02:04

解説で柴田元幸氏はアイデスの名前から「死」の世界を連想する、と書いて
おいででした。確かにこの世のどこにもない世界、次の世界とは死の世界
なのでしょう。。。
わたしはアイデスとは人々の観念、空想がつくりだした架空の世界だと
思います。つまり、実体のない世界。そこでは血も流れない、労働しても
汗をかくこともない、棺は永遠に消えない灯りに囲まれて美しく彩られたまま
時がとまっているかのよう。それゆえ死体は腐臭を発することはない。
従って人々の感情も淡いものであり、濃密な感情に襲われた住人は必然的に
アイデスからはみ出してしまうのです。
たとえばかつての「私」の恋人マーガレットは、「私」がポーリーンにこころを移して
しまった途端に激しい嫉妬の嵐に襲われます。
そして、その日から「失われた世界」へと急速に惹かれていきました。
また、日々穏やかに過ぎていく世界に物足りなさを感じたインボイルと彼の仲間
たちは、刺激を求めて「失われた世界」の残骸を集め始めるのです。
強烈で何もかもが色濃く覆われていた「失われた世界」。
酒、タバコ、ドラッグ、感覚を高揚させ狂わせるものたちが充満していた世界。


(つづきます)

5 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:02:45

アイデスの世界ではあらゆる感情が希薄で、悲しみさえも淡くとおりすぎて
いくかのようです。
無論、悲しみを濃く味わいたい人間などこの世にひとりもいないでしょう。
けれども、それは例えば人の死を悼むという深い感情も失われてしまうことに
他ならないのですね。
うろ覚えですが、吉本ばななさんが新聞のコラムでこんなことを書いていました。
「今の時代は悲しみに深く向き合おうとしない時代です。
淡い関係こそがお洒落であり、ひとつの関係が壊れても替えはいくらでもある。
人々は悲しみを避ける術が上手くなり、親しい者の死にもきちんと向き合わない。
ヒーリング、娯楽、、、手を伸ばせば何と簡単にそれらは手に入ることだろう。
けれども、そうしたものは一時的なものに過ぎず、必ずあとでしっぺ返しがくる。
人は悲しみに対してきちんと対峙しないと、次の段階には決して進めない」

例えば「私」が子供の頃、目の前で両親を虎に食い殺されたこと。
虎は「すまない。こうしないとわれわれも飢えて死んでしまうのだ」と言います。
「私」は目の前で両親を殺された悲しみときちんと向き合えたのでしょうか?
いいえ、おそらく「私」がとった手段はアイデスという架空の国への逃避でしょう。
あまりにも悲しみが大きすぎたとき、人は自分のこころを守るために悲劇は
なかったことにしようとする心理がはたらきます。


(つづきます)

6 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:04:11

そしてケアされなかった悲しみは、同じように悲しみを持つ人たちを呼び寄せて
ひとつの王国をつくりあげるのです。
その国は、西瓜のように甘すぎず、希薄な関係を好む人たちの集まり。
気づいてます? 西瓜って甘くないのに鮮やかな赤い色をしているでしょう?
あの赤はね、血の色、情熱の色なんですよ。
生きている証し、それが血の色。こころが動く瞬間の激しい迸りの激情の色。

インボイルは指を切り落とし、アイデスの聖地・鱒の孵化場を血で染めて
死んでいきました。マーガレットは林檎の木に首を吊って自殺しました。
西瓜糖の大地の下には虎が埋まっていることをどうか忘れないで。
生きるために人間を食い殺した獰猛な虎の魂は、アイデスの世界で腑抜けの
ようになっている人々に呼びかけます。
目覚めよ! 眼を覚ませ! そしてよく眼を開けて辺りを見るんだ。
おまえがいる地はまやかしの国だ。嘘で塗り固められた平和だ。

ところで、鱒はライ麦畑の番人のように、人間の見張り役なのでしょうか?
アイデスから落ちこぼれる人たちを普段は静観していて、時々気まぐれに虎の魂を
吹き込んでいるような……。


(つづきます)

7 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:05:02

虎の魂を吹き込まれた人間はマーガレットやインボイルのように血の気が多くなり
アイデスから離れていきます。
これ以上人口がふえぬための、それはひとつの自然の摂理なのかもしれません。。。

どこにもないとわかっているのに、どうして人はユートピアを求めるのでしょう?
もし仮に探しあてたとしても、その瞬間からユートピアはユートピアではなくなります。
そうしたら、また新たなユートピアを求めずにはいられなくなるだけなのに、、、
理想郷が神の住まう平穏な国とすれば、イエスはいみじくも言いました。
――さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、
イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものでは
ありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものでは
ありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」――
(ルカ17章20 -21節)

夢見るようなやさしい、ほんのり甘い西瓜糖の世界。
だけど、一皮向けば血で塗り込められた凄惨で残酷な美しい世界。
指を切り落とした血で染められた西瓜をあなたは平然と食べられるでしょうか?
つるつるした舌触りの西瓜の種は実は針かもしれませんよ。
あなたは、何の疑問も抱かずに目の前の西瓜を食べられますか?
そう、これは西瓜糖の住人になれるかどうかの「踏み絵」なのです。
え? わたしですか? わたしならば**********です。そう、あなたと同じです。


……西瓜糖で灯されたランタンの橋を渡り、今宵こそ夢の世界に出発ですね。

8 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:37:20

ブッツァーティ短編集『待っていたのは』読了しました。

恐怖小説、SF小説、不条理小説、となかなかバラエティに富んだものが所収
されています。

なかでもとりわけ表題の『待っていたのは』は苛立ちを残す作品です。
ひと組の男女がとある街に降り立ち、すべてのホテルから拒否されます。
連れの女性は暑さのあまり涼をとりたくて公園の噴水のなかに入ります。
周囲の人々が彼女を咎め立て、連れの男性共々見せしめの檻に吊るされ
挙句の果ては唾やら汚物を浴びせられる……。
なぜ、そうされなければならないのか、詳しい説明は一切書かれていません。
……もし、この男女がこの街ではなく他の街に降り立っていたとしたら。
……もし、あのとき彼女が噴水のなかに入らなかったならば。
この世の出来事はあらゆる偶然によって引き起こされるのです。
そして、その偶然を引き起こしているなにものかがいる。
そのなにものかにとって、偶然とは必然なのですね。

ブッツァーティはそうした予測不可能な偶然によって引き起こされた必然としての
結果がもたらす暗部をとりわけ好んで描くのです。
偶然という意地の悪い運命のいたずら、迷路にふとしたことで迷い込み、
転落していく人間の姿をある種の諦念を込めて描く作家ですね。


(つづきます)

9 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:38:09

『夕闇の迫るころ』は、狡猾な手段で高い地位にのし上がった男が、
廃屋で子供だった頃のかつての自分に遭遇するお話。
少し教訓めいていますが、少年だった彼が理想として描いていた未来の自分との
あまりの隔たりに愕然とするも、時を取り戻すことはできず、男はひとり夕闇の
なかで絶望的に佇むしかすべがない……。
我欲と名誉欲が強い男が最後に手に入れたものは、深い孤独だけ。

ブッツァーティは人間の孤独についても深い観察眼をもって描き出します。
孤独とは他者との関係云々以前に自分が満たされていない状態。
家族や伴侶、親しい友人たちに囲まれていても、疑心暗鬼だったり
こころが通い合わずに空虚な状態を指すのですね。
自分で自分を認めてあげることができない、つねに何かに餓えていて充足する
ことがない。欲望が深ければ深いほど、孤独の度合いも深いといえましょう。


(つづきます)

10 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:38:48

『夜の苦悩』
病気の弟の枕元に毎夜立つ死神。兄は何とか死神を部屋に入れまいとしますが
死神はどんなに扉を堅く閉ざしてもどこからともなくするりと忍びこんでくるのです。
幾夜もそんな夜がつづいたある夜、兄は死神が眠っているのを見ます。
ようやく待ち望んでいた夜明けの光が射し、ふたりは死神がどこか遠くへ行った
ことを知り、喜びを分かち合うのでした。

ブッツァーティの作品にしては珍しく最後は希望に満ちています。
夜、闇、病がもたらす幻想的な恐怖を描いています。
死というものの前で人間はなすすべはありませんが、それでも時折奇跡は起こる。
神の恩寵によるものか、はたまた死神が年若い命を奪うのは気が引けたのか。
朝の光は天の国の光のように歓喜にあふれ、ふたりの兄弟を祝福します。
それは、ふたりが幾夜もつづいた夜の恐怖から解放された証でもありました。
ここでブッツァーティは人間の幸福について、言及しています。
そう、幸福とは自分を取り巻く苦悩が取り去られた瞬間にこそ訪れる。
逆説的ですが、毎日が平和で穏やかな人には、そのようなあふれる幸福感を
味わうことはできない。人生において願わしくない課題を与えられ、その課題から
解放された瞬間の喜びはなにものにも勝る幸福であると。
それは、曲がりくねった険しい山道をひたすら歩き続ける人の前に何の前触れも
なく、いきなりふいに眺望が開けた瞬間の喜びに似ています。
爽やかで清々しい朝の光。幸福とは明け方の光に象徴されているのですね。


(つづきます)

11 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:39:32

『戦さの歌』
勝利しているにも拘わらず兵士たちの歌う悲しい調べ。
王でさえも彼らの歌を止めようがありません。
戦勝に浮かれた王は、戦さを終結するどころか兵士たちをさらに先へ先へと
行進させます。
そして、気の遠くなるような年月が流れ、兵士たちが行進した跡にはあの悲しい
歌の詩のままに十字架が列をなしてどこまでもつづいているだけ……。
いくら勝利しているとはいえ、人が向かう先は最終的には死であるのです。
誰も死を阻むことはできない。
兵士たちは誰に教わるでもなく、そのことを知っていたのでした。
知らぬはただ王ひとりのみ。。。
勝利がもたらす喜びは、確実に待ち受けている死を思うとたちまち吹っ飛び、
暗澹とした気持ちに襲われてしまう。
兵士たちが悲しい歌を止めないのは、この行進は死へとつづいているから。
この世の権勢を誇る王でさえ、やがては朽ちて土に還る。
この世はまさしく、諸行無常……。
今日もどこかの見知らぬ国で兵士たちの悲しい調べは延々と流れる。


(つづきます)

12 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/09(土) 23:40:09

『アナゴールの城壁』
これはまさしくカフカの『門』をほうふつとさせます。
人々は行列をなして門の前で門が開くのを待っていますが、なかなか開かない。
幾年か前に、たった一度だけ門は開き入ったのはひとりだけ。
それも開いた門は数ある門のなかでも最も小さくみすぼらしく誰もが省みない門。
そこにたまたま訪れた男は数秒も待たずに中に入りました。
何年も待ち続けた人々は唖然と見送るのみ。。。
最後には教訓としてこんな一文が。
「あなたは人生で多くのものを求めすぎるのですよ」

ブッツァーティの作品の特徴として、登場人物たちはふとした運命のいたずらで
転落したり、待ちぼうけを食らったり、延々とつづく荒野をさすらったり、
命が尽きるまで迷宮をさ迷うはめに陥ります。
彼らの運命の糸を操っているのはいったい誰なのか?
人智を超えた大いなるもの(=プロンプター)でしょうか。
彼(=プロンプター)が気まぐれにほんの少しサイコロを振るだけで人の運命は
大きく変わります。それも一瞬で。人生が、流れが激変します。


(つづきます)

13 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:09:10

彼(=プロンプター)の出来心できられたカードには、瞬時に変えられた人の
運命が記されています。スペード? キング? それともジョーカー?
そのカードを見て彼(=プロンプター)の脳裏には、どんな想いがよぎるのでしょう。
あまりにもたくさんの人々のカードをきりすぎて、感情は麻痺してしまったので
しょうか。彼はいったい何を思い、また今日もひとりでカードをきるのでしょう?
彼には人生を狂わされた人々の慟哭が聞こえるのでしょうか。
わたしは知りたい。彼にはこころがあるのでしょうか?
あるとしたら彼のこころは、どんなかたちをしているのでしょう?
わかっているのは、彼は人間よりもずっとずっと孤独な存在であるということ。

運命のカードをきる者のこころのかたちとは?
映画「レオン」のエンディングに流れていたスティングの《Shape of My Heart》
(私のこころのかたち)のyoutubeを見つけたのでupします。

映画「レオン」の映像も合わせてお楽しみください。↓
http://www.youtube.com/watch?v=88uy47jylTo

こちらはスティング本人の動画 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=KX4jAplZb0Y

14 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:11:29

< Shape of My Heart / STING>

He deals the cards as a meditation
And those he plays never suspect
He doesn't play for the money he wins
He doesn't play for respect
He deals the cards to find the answer
The sacred geometry of chance
The hidden law of a probable outcome
The numbers lead a dance

I know that the spades are swords of a soldier
I know that the clubs are weapons of war
I know that diamonds mean money for this art
But that's not the shape of my heart

He may play the jack of diamonds
He may lay the queen of spades
He may conceal a king in his hand
While the memory of it fades

15 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:12:23

I know that the spades are swords of a soldier
I know that the clubs are weapons of war
I know that diamonds mean money for this art
But that's not the shape of my heart

And if I told you that I loved you
You'd maybe think there's something wrong
I'm not a man of too many faces
The mask I wear is one
Those who speak know nothing
And find out to their cost
Like those who curse their luck in too many places
And those who smile are lost

I know that the spades are swords of a soldier
I know that the clubs are weapons of war
I know that diamonds mean money for this art
But that's not the shape of my heart

16 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:13:42

【訳詞】

< Shape of My Heart / STING>

瞑想するように カードをきる男
賭ける者も その手先に信用を置く
彼の勝負は 金のためではないから
媚びた競い方もしない
カードをきるのは 答えが欲しいから
聖なる奇跡にも似た 幾何学的な偶然
予測可能な結果 隠された法則
誰もが 数字に踊らされてゆく

僕は知ってる
スペードは 騎士(ナイト)の剣(つるぎ)
クラブは 戦いに備える武器を意味する
ダイヤは この芸術に捧ぐ金の輝き
だけど どれも僕の心を かたどりはしない

17 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:14:52

ダイヤのJackを 使うだろうか
スペードのQueenを 手放すだろうか
行き交う記憶の狭間で 彼がその手に隠すのは切り札
キングかもしれない

僕は知ってる
スペードは 騎士(ナイト)の剣(つるぎ)
クラブは 戦いに備える武器を意味する
ダイヤは この芸術に捧ぐ金の輝き
だけど どれも僕の心を かたどりはしない

……違う
僕の心を埋めるのは そんなものじゃない
もしも「愛している」と伝えたら
君は信じるよりも 驚くだろうね
仮面を使い分ける器用さのない僕だから
身に付けた「顔」は ひとつ

18 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:31:55

知識ばかりで良く話すやつほど
ほんとうは何も知らない
そのうち 大きなしっぺ返しをくらう
人をうらやんでばかりの 不幸自慢をする奴らと同じ
そしてただ微笑む者は 道を見失う

僕は知ってる
スペードは 騎士(ナイト)の剣(つるぎ)
クラブは 戦いに備える武器を意味する
ダイヤは この芸術に捧ぐ金の輝き
だけど どれも僕の心を かたどりはしない

……違う
僕の心を埋めるのは そんなものじゃない

19 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 00:32:40

連投失礼致しました。

今日はこの辺で失礼します。
皆さま、すてきな日曜日をお過ごしください。
おやすみなさい。

――それでは。

20 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 20:16:39

すみません。

前スレが途中のまま、
「このスレッドは512KBを超えているのでこれ以上は書けません」とメッセージが
でてしまいましたので、改めて『虹を架ける』2レス分をこちらに書かせて
いただきます。

21 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 20:42:45

前スレの途中で容量を超えてしまいました。。。
以下、美智子皇后様が子供時代の読書の思い出を語られた『虹を架ける』の
抜粋です。

――だ小さな子供であった時に一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことが
ありました。不確かな記憶ですので今恐らくはそのお話の元はこれではないかと
思われる新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。

でんでん虫はある日突然自分の背中の殻に悲しみが一杯つまっていることに
気付き友達を訪ねもう生きていけないのではないかと自分の背負っている不幸を
話します。友達のでんでん虫はそれはあなただけではない、私の背中の殻にも
悲しみは一杯つまっていると答えます。
小さなでんでん虫は別の友達、又別の友達と訪ねて行き同じことを話すのですが、
どの友達からも返って来る答は同じでした。そして、でんでん虫はやっと悲しみは
誰でも持っているのだということに気付きます。
自分だけではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなければならない。

この話はこのでんでん虫がもうなげくのをやめたところで終っています。
あの頃私は幾つくらいだったのでしょう。母や母の父である祖父、叔父や叔母たち
が本を読んだりお話をしてくれたのは私が小学校の2年くらいまででしたから、
4歳から7歳くらいまでの間であったと思います。
その頃私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。


(つづきます)

22 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/10(日) 21:17:12

だからでしょう。 最後になげくのをやめた、と知った時、簡単にああよかった、と
思いました。
しかし、この話はその後何度となく、思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。
殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、
もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていた
のでしょう。少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけでは
済まされなくなりました。生きていくということは楽なことではないのだという、何とは
ない不安を感じることもありました。

どのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙にはそれなりの重さが
あります。
私が自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。
本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、
他者への思いを深めますが、本の中で過去現在の作家の創作の源となった喜びに
触れることは読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り
戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。――美智子皇后・『虹を架ける』より

「でんでんむしのかなしみ」新美南吉 ↓
http://nagoya.cool.ne.jp/ksc001/snail.htm


――皆さま、よい読書の旅を!

23 :SXY ◆uyLlZvjSXY :2006/12/10(日) 23:31:38
Cucさん、新スレ出産おつかれさまでした!

ブローティガンについて少し。
>ごく短い章に分けて淡々と綴られています。
ブローティガンの作品は断章形式が多いですね。
『西瓜糖』も『鱒釣り』も『ビッグ・サー』も『芝生の復讐』も。
「西瓜糖」や「鱒」や『ビッグ・サー』の「鰐」などを象徴的に掲げ、
独特の文体で独特のファンタジックな世界を紡ぐブローティガン。
難しいことを考えずに音楽を聴くように読める作品ながら、
いつも読後に不思議な余韻を残してくれます。

>どこにもないとわかっているのに、どうしてユートピアを求めるのでしょう?
《アイデス(iDeath)》は観念(idea)の国ですが、
「私」の死(Death)の国でもあるのでしょうね。
どこにもないからこそ求められるユートピア――。
「どこにもない」という意味を持つユートピアは,
その定義からしてどこかにあってはならないのでしょう。

24 :SXY ◆uyLlZvjSXY :2006/12/10(日) 23:38:25
ブッツァーティについても少し
>人智を超えた大いなるもの(=プロンプター)でしょうか。
ブッツァーティには『偉大なる幻影』というSF的作品もありますが、
そういう《何か見えないもの》をテーマに書くようなところは、
『タタール人の砂漠 』にも共通していますね。
『待っていたのは』や『七人の使者』という短編集でも
不気味なもの=不可視なもの、を描くのがなかなか達者。
ブッツァーティの『ある愛』は未読なので、
来年はぜひ読んでみたいなと思ってますヨ。

「アナゴールの城壁」という短篇について
>これはまさしくカフカの『門』をほうふつとさせます。
と書かれていましたね。
ブッツァーティの作品のトーンやテーマには
時々カフカを彷彿させるものがありますが、
『タタール人の砂漠 』を読んだときも、
たしかカフカ「万里の長城」を想起させられた記憶が。  〆

25 :SXY ◆uyLlZvjSXY :2006/12/10(日) 23:42:24
追伸

スティングのリンクどうもありがとう。
スティングを聴いていると
黄昏時に橋の上から川の流れを眺めているような雰囲気に
なぜかなってしまうのでした。  〆

26 :(OTO):2006/12/12(火) 14:22:29
アク禁で遅れた。すまん。

Cuc乙。SXY乙。いよいよ3冊目か。先日「私についてこなかった男」の
2人の感想を再読しようと思い、1スレ目を読み始めたら、
ついつい現在まで通読してしまったが、感慨深いものがあるなww
これからも、2人ともよろしく。できるだけ続けていこう。

前スレ末尾の「不可能なもの」と「私についてこなかった男」に関するCucの
感想・返レス、非常に興味深く読んだ。バタイユにおける信仰のかたちを見据えた上での
読みは、もうかなり完成しているようで、安心して読める。文章ものびやかで
Cuc独自のの「口調」と「持っていきかた」が自然に出ているなあ、と感心。
そして書かれたことに寄り添うように漂う、書かれていないことをさえ
我々は読むものだ。書いた者の生きる「世界」。やわらくいえば「ひととなり」と
言えばいいのだろうか。誠実さややさしさが深いところから伝わってくるな。
それは美智子皇后の「虹を架ける」の引用にも感じる。
「その箇所」を静かに切り取り、貼る「手」のやさしさ、というのかな。

おれは、1スレ目だったかな?SXYのあざやかな引用に感心して以来、
感想文でも引用を多用するようになったが、同一であるはずの原典が
読む者の引用、そのサンプリングによってさえ違うテクストのように機能するのは
おもしろいと思うな。

>自分以外の人が書いた文章を再認し、自身の言葉で再構築する行為とは、
>結局は読み手であるわたしの一方的な思い込みや誤読に過ぎないものかもしれず、
>また、再構築された言葉とは自分の世界でしか通じないものなのかもしれません。
>なぜなら、作家がとらえた世界・それを構築した言葉と、それを読んでわたしが感じ、
>とらえた世界とでは当然ながら差異が生じるからです。 (前スレ504、Cuc)

「感想文」という言葉の持つ個人的なニュアンス。同意や差異を楽しみ、
それぞれのパルタージュを尊重しながら、ゆっくりと続けていきたいね。
んじゃまた。まだこのスレの上の方読んでないんだww
ゆっくり読ませてもらうよww

27 :SXY ◆uyLlZvjSXY :2006/12/16(土) 23:13:43
>1スレ目を読み始めたら、
何を書いていたかはほとんどの忘却の彼方。
どうも人より多く頭の中に消しゴムがあるようで。。。
OTO氏のいう「あざやかな引用」なんてあったかな?
という感じではあるのだけど、どうもありがとう。

>同意や差異を楽しみ、
>それぞれのパルタージュを尊重しながら、
まったくの同感。
差異があるからこそ理解しようとする欲望も沸き、
二人への尊敬、といえばおおげさかもしれないけれど
それに似た感情を持ってしまうのだから。  〆

28 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/17(日) 18:46:31

SXY ◆uyLlZvjSXYさん

>>23-25

さっそくいらしていただき、ありがとうございます!
このスレもどうぞよろしくお願いします。

>難しいことを考えずに音楽を聴くように読める作品ながら、
>いつも読後に不思議な余韻を残してくれます。
そうですね。コージー・コーナーのような心地よい空間のなかで聴く音楽は
そよ風のようにこころを和ませ、いつしかまどろむとそこは異次元の世界へ
つづく扉が。
「不思議の国のアリス」のように、わたしたちは次々に扉を開けてゆきます。
扉を開けるたびに違う世界があり、最後の扉を開けたとき、そこに見えるのは
砂と岩だけの砂漠だったり、あるいは一面の海だったり、雪景色だったりと
色のないモノクロームの世界に立っている自分に気づきます。
寂しさと、なつかしさで胸がしめつけられるのです。
眼前に広がる世界はわたしの記憶がつくりだしている世界。
追憶の世界に入り込めるのはわたしだけ。。。

ブローティガンはそんな不思議で物静かな世界をつくりだす作家ですね。

29 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/17(日) 18:47:17

>不気味なもの=不可視なもの、を描くのがなかなか達者。
本当にその通りですね。
ひたひたと音もなく忍び寄ってくる気配のぞっとするような怖さ、
正体不明の何者かが迫ってくるのがわかっているのに逃げられない恐怖を
描くと抜群に筆が冴えますね。

>ブッツァーティの『ある愛』は未読なので、
>来年はぜひ読んでみたいなと思ってますヨ。
あ、わたしもぜひぜひ読んでみたいです!
年明けに図書館にリクエストする予定ですヨ♪
そしたら、またこのスレで同じ本についての感想を語りあえますね。
今から楽しみにしておりますヨ。

30 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/17(日) 18:47:56

>スティングを聴いていると
>黄昏時に橋の上から川の流れを眺めているような雰囲気に
>なぜかなってしまうのでした。
ああ、とても綺麗で素敵な表現ですね!
そうですね、哀愁を帯びた彼の曲は、どこかもの悲しくて、せつなくなります。
込み上げてくるものがありますね。
灰色の凍えた冬空にせいいっぱい翼を広げて飛び立つ鳥を見て
湧きあがってくる愛しさに似た感情。
ロックってもっとこう、ハードなものなのかな、と思っていたのですが、
こんなにも切々とした美しい調べもあるのですね……。

もの思いに沈んだとき、この曲を聴けばカタルシスに浸れます。。。
そして、思い切り沈んだらあとは静かに浮上するのを待ちましょう。

31 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/17(日) 18:48:30

(OTO)さん

>>26
ようこそ、新スレへ! このスレもよろしくお願いします。

>バタイユにおける信仰のかたちを見据えた上での
>読みは、もうかなり完成しているようで、安心して読める。
ありがとうございます! とてもうれしいです♪

>やわらくいえば「ひととなり」と言えばいいのだろうか。
>誠実さややさしさが深いところから伝わってくるな。
ここを読んでうれしさのあまり泣きそうになりました……。
こんなふうに言っていただけて、ほんとうにとてもうれしいです。
ああ、言葉にしていないところまで丁寧に読んでくださっているのだなあ、
書くことの不安と怯えを払拭させてくれる揺るぎない友情と、
寛容であたたかなまなざしに守られているのだなあ、と。
ありがとうございます。

>同一であるはずの原典が読む者の引用、そのサンプリングによってさえ違う
>テクストのように機能するのはおもしろいと思うな。
そうですね。人それぞれの感じ方や引用部分が異なるからこそ、面白い。
あ、そんなふうにも読めるんだ。う〜ん、さすが鋭いところを突いているな、と
互いに刺激され、それを糸口にそこからまた「新たな読み」が始まります。
おそらくこれは弁証法に近いのではないかと思います。

32 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/17(日) 18:49:02

行きつ戻りつの対話は、一見戻っているようで実は登山鉄道のように、
最初の地点より高度は上がっている。それも確実に。
レールの終点は次のより高い地点を目指す始点でもあるということですね。
何だかブランショの「終わりなき対話」みたいですね。
だからこそ彼は「今、終わりと書く」と記してあえて終わらせたのですね。
ほんとうは終わっていないのに。書かれていないだけで対話はつづいているのに。

>「感想文」という言葉の持つ個人的なニュアンス。同意や差異を楽しみ、
>それぞれのパルタージュを尊重しながら、ゆっくりと続けていきたいね。
はい。これからも急がずに互いのペースを守りつつ歩みましょう。
本の読み方はそれこそ人の数だけあり、それはその人の今までの人生の
歩みそのものです。ですから、ひとつとして同じものはない。
真摯に綴られた感想とはその人の人生観、軌跡であるならば
どのような人の人生も、わたしにとっては未知の世界との出逢いであり、
新しい発見であるのですね。
そうした出逢い、発見を大切にしていくことが、パルタージュを尊重することなの
でしょうね。

先週、感想文をどっとつけたので、今日はおふたりに返レスのみにしました。
ブッツァーティーの「七人の使者」の感想は次回にupする予定です。

――それでは。

33 :SXY ◆uyLlZvjSXY :2006/12/21(木) 23:57:28
>ブローティガンはそんな不思議で物静かな世界をつくりだす作家ですね
ブローティガンより前に高橋源一郎の初期の作品を読んでいたので、
ああ、源一郎のルーツにはブローティガンがいたのか、と感じたっけ。
ちょっといびつでなげやりで、それでいてリリカルなファンタジー。
二人とも根っこには詩があるのかな。

>年明けに図書館にリクエストする予定ですヨ♪
ギクッ。Cucさんは読むのが早いからなあ。
ちょっとハンデをもらわないと追いつけないかも。
とりあえず読み始めたら報告しますね。

実は今、いくつかの写真論に手を出し始めたところで、
ベンヤミン『写真小史』、ソンタグ『写真論』、
そしてバルト『明るい部屋』を遍歴する予定。
これは特に文学とは直接の関係はないけれど。  〆

34 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:15:12

>>33
SXY ◆uyLlZvjSXYさん

>ブローティガンより前に高橋源一郎の初期の作品を読んでいたので、
>ああ、源一郎のルーツにはブローティガンがいたのか、と感じたっけ。
そうなのですか? わたし高橋源一郎さんの作品は未読なんですよ。
初期の作品を中心に読んでみたいですね。

>ちょっといびつでなげやりで、それでいてリリカルなファンタジー。
>二人とも根っこには詩があるのかな。
そういえば、ブローティガンは詩人でもあるのですよね。
高橋源一郎さんが詩作をされる方かどうかは知りませんが、
詩が好きならば充分読んでいた可能性が考えられますね。

>ギクッ。Cucさんは読むのが早いからなあ。
いえいえ、最近は平日の夜は全然読んでないんですよ〜。

>とりあえず読み始めたら報告しますね。
はい。よろしくです♪ また同じ物語について語り合えたらいいですね。

35 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:15:44

>ベンヤミン『写真小史』、ソンタグ『写真論』、
>そしてバルト『明るい部屋』を遍歴する予定。
写真論ですか! これはまた多趣味ですね。
わたしは写真のことはよくわからないのですが、江戸東京博物館で
開催されていた荒木経惟の写真展「東京人生」を先月鑑賞してきました。
中年女性の顔だけのアップとか、なかなか多彩に富んだ作品でした。

こちらにカキコするのは年内で今日が最後になりそうです。
SXYさん、OTOさん、そしてROMされている皆さま、
少し早いですが、良い年末年始をお迎え下さい。
来年もよろしくお願いします。
年明けにまたお逢いしましょう。


以下、今年最後の『七人の使者』の感想です。

36 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:16:30

『七人の使者』の感想を記します。

ブッツァーティーの短編集です。
このなかでもっとも有名なのがSXYさんがコメントされていた『七階』。
ひとりの男が少し熱があるので某有名な病院に診察にいくと、
次々と階を降ろされていくというお話しです。
訳者の脇功氏が解説で指摘しているように、軽症だと本人には思わせておいて、
実は重症でした、というオチのある話。
わたしは各階とは人生におけるその人の年齢の象徴だと思えました。
例えば七階が三十代と仮定します。まだまだ身体は二十代には負けないという
自負心があります。ところがそう思っているのは本人だけで、身体は確実に
三十代なのです。本人はまだまだ若いつもりで、いつでも二十代に戻れるつもりで
いる。そうこうしているうちに四十代になり、階はまたひとつ下へと降ろされます。
医師は差し当たりのないことしか言いません。それはそうです。
会社という組織を考えてみてください。年配の上司に面と向って「もうトシですね」
などという輩はひとりもいないでしょう。上司はまだまだ自分がイケルと思い
若い人たちとやたらに張り合おうとします。
けれども、現実に肉体は確実に年をとっているのです。。。
これは自分の年齢を最後まで認められずにいた男の物語として読みました。
自分の年代を受け容れてしまえば、生きることはずっと楽でしょう。
かつて自分も若者としてこの世を享受していたことにいつまでもしがみつくよりは、
これからの実りある日々を充実させるほうが豊かな人生を送れます。


(つづきます)

37 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:17:04

『七人の使者』、『急行列車』。まさに人生そのものを描いた作品。
父の治める王国を踏査しようと七人の忠実な家臣をつれて旅に出た男。
七人のうち、一人ずつ使者を出し都からの頼りを受け取るも、その使者が
戻ってくる間隔が次第に遠くなる。国境はいつまで経っても見えない……。

人生という『急行列車』に乗って旅するひとりの男。
途中駅で下車して恋人とともに歩むこともできたのに、男は恋人が待ちくたびれて
去っていく後姿を見送るだけで列車から降りない。
母が待っている駅で下車し、今度こそは母とともにここに残ろうと決意するも
「お前は若いんだし、お前の道を行かなくちゃあ。早く汽車にお乗り」と説得され
またも列車に乗り続ける。何年もの時が流れ知っている乗客は誰もいなくなる。
終着駅がどこなのか誰も知らない。それでも今日も列車は走りつづける……。

ブッツァーティーは人生を果てのない砂漠、終わらない旅ととらえます。
答えの見つからない旅、それが人生である、と。
ひとたび列車(=人生)に乗ったら途中下車できない、放棄できない旅。
なぜなら、誰にとっても人生は一回性のものであり、時間は後戻りしないから。
それならば、ひとたび列車に乗った以上、世の果てまで走り続けるしかない。


(つづきます)

38 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:17:40

わたしはここに、深い悟りと諦念にも似た信念を見るのです。
彼らは走り続けるしかないと悟った時点で、決して自暴自棄にならない。
それが自分の運命ならば受け容れるしかない、そうした潔ささえ感じるのです。
目標の国境は無きに等しい。にも拘らず死ぬまで旅をやめない国王の次男、彼に従う
忠実な臣下、ひとたび列車に乗ってしまったからには恋人とも母親とも別れ、ひたすら己の
道を進む男。彼らは人生にありきたりでわかりやすい幸福を求めない。
いつ辿り着けるのかもわからない自分の信じた道をひたすら突き進んでいきます。

深い読後感に浸りながら、せつなさに打ちのめされるのはわたしだけではないでしょう。
なぜ、彼らは旅をやめないのか?
彼らの求めるものは見つからないかもしれないのになぜ、途中で旅を放棄しないのか?
そもそも人生とは確固たる答えが出るはずのものではなく、ひとたびこの世に生まれ
おちた以上、死に向ってただ行進していくしかないのだとすれば、数え切れない生き方が
あっても、死という終着駅はひとつであり、最終的には皆そこに向っているのですね。
どんな人も終着駅に着くまでは各々の旅を続けるしかないのです。


(つづきます)

39 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:37:35

『それでも戸を叩く』、『なにかが起こった』、『山崩れ』これらの作品群は不気味な
雰囲気をたたえており、さながらブラッドベリの恐怖小説を読んでいるようでした。
『それでも戸を叩く』の豪奢なお屋敷の女主人は、川が氾濫して大変な状況なのに
現実を認めたくないばかりに、最後まで威厳を見せつけてその場を離れません。
慌てふためいて非難することは、女主人の沽券にかかわる、その傲慢さが一家を
悲劇に陥れます。
『なにかが起こった』は列車から何気なく外を見ると民族大移動さながらみんなが
非難している様子が見えますが、列車は止まらない。惨劇の発信地へと走り
つづけるのです。
『山崩れ』は山崩れが起きたので記者は取材に赴くのですが、崩れた様子は皆無。
ところが帰り道、車を走らせている彼のすぐ後ろで土砂崩れの轟音が……。

人生の途上で、人は故意か偶然か自分の意志とは関係なしに惨劇の渦中にあえて
飛び込んでしまうことが多々あるようです。まるで魅入られたかのように。
迫りくる惨劇に途中で気づきながらも、あえて逃げずに留まってしまう人がいます。
あのとき、あの列車に乗らなければ事故には遭わなかったかもしれない、
あの場所にわざわざ行かなければ、命は永らえたかもしれない、
あの瞬間にすぐ逃げ出していれば、助かったかもしれない、
人の運命は数分、数秒、いえ一瞬の差でまったく違ったものになってしまうのです。
生に向かう際、生き方そのものには各々の意志がはたらき変えられることはあっても、
予め決められた死という運命の終着地は誰も変えられない、逃れようがないのですね…。


(つづきます)

40 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:38:19

『神を見た犬』はO.ヘンリーばりの最後のオチが効いておりストーリー・テラーとして
抜きんでたものを感じさせます。
神を見た隠者が可愛がっていた犬は、彼のために毎朝せっせとパンを運ぶのですが
隠者が亡くなったあとも、町の人々は犬の目を見るたびに神の目を思い悪行を
改めます。人々は犬が町に現れるたびに食べ物を与え丁重に扱います。
犬が死んだあと町を挙げて埋葬しようとすると、隠者の墓の上には犬の骸骨が。。。
風刺の効いた寓話ですね。
ただの犬なのに、隠者の犬だと人々は勝手に思い込み、神のまなざしに恐れ戦く。
犬は何の考えもなくただ気ままにうろついているだけなのに、悪さを企む人たちは
犬の目が神の審判として映る。
人々はその後も日曜日にはミサに出るし、風紀は乱れることはありませんでした。

人間の意識はほんのささやかなことで一変するものですね。
自分の人生における主役は自分であり、どう生きようと自由ですが、自由ななかで
己を律することを忘れてはならないのですね。神が強制的に人を律するのではなく、
たとえ神が不在でも自分自身を律する目をつねに備えていること。
まあ、これができたら法律は不要なのですが、、、
人は野放しにしておけば、水は低きに流れる如く烏合の衆となり果てる。。。
大いなるものを畏れ敬うことで初めて人は人として生き得るということでしょうか。


(つづきます)

41 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:38:57

『円盤が舞い下りた』は、宗教を持たないご立派で清く正しい生き方しか知らない
宇宙人をおちょくる話。彼らは神父が祈る姿を不思議そうに見るのです。
神父の彼らに対する最後の悪態がいいですね。
「へっ! 神様はご清潔で汚れを知らないお前らよりも、祈ることを知っている俺たち
人間のほうをお喜びにるはずだ。そうだろ?」
神父のこの言葉はまさに真理です。
人間が汚れもなく罪をひとつも犯さないならば、宗教は不要です。
まさに神は人間という罪びとのためにこそ、降りて来給う方なのですから。

『竜退治』は人間の傲慢さと醜悪さを描いた風刺的な作品。
伯爵の醜悪な名誉欲のため老いた竜とその子供たちはあえなく殺されます。
親竜が殺された二匹の子竜の亡骸を前にして白い涙を流す場面は、
哀切極まり、読んでいて胸が痛くなりました……。
けれども、この親子の竜も生きるために毎朝村人に一匹の山羊を生贄として
捧げさせていたのです。生きることとは他の生きものの命を食らうこと。
自然界の掟ではそうしないと生きていけないのです。。。それが摂理。
竜が天に向かって毒煙を吐く最期は復讐というよりも、悲しみのあまり吐いた息が
当の伯爵だけでなく村人をも殺してしまう結果になったのだと、わたしは受け取りました。

生きていく上で出逢う悲しみは周囲を巻き込み、無関係なものたちまで死に至らしめて
しまう。この上なく理不尽。けれども、それを承知で生きることが人生なのです。


(つづきます)

42 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:39:34

訳者あとがきで、ブッツァーティーはカフカとよく比較されることを知りました。
ブッツァーティーは「自分の小説は人生を描いたものである」と主張したそうですね。
わたしは、カフカの小説は読んだ後、苛立ちと怒りの感情にとらわれることが
しばしばです。内容が難解という以前に、時間が遅々として進まない、
停滞したかのようなもどかしさで焦燥感ゆえに気力が消耗してしまうのです。
ブッツァーティーの小説は人生の断片が描かれ、寂寥感と静謐な悲しみが全編に
漂い、読後は人生の悲哀に思いを馳せ、深い余韻をわたしにもたらすのです。
《時間》というものを軸に据えるならば、カフカの作品は時が停滞しており、
ブッツァーティーの作品は人生、すなわち生から死へと確実に時間が流れているのです。
共通点をあえて挙げるとすれば、両者とも小説を寓意的に表現したことでしょうか。
また、不条理という観点から見れば、カフカの描く不条理は《法に縛られた世の中》
であり、ブッツァーティーの描く不条理は《人生》そのものに目が向けられています。

人生とは旅でありますが、ブッツァーティーの小説には旅に出る人物が多いですね。
『七人の使者』、『急行列車』、『道路開通式』、そして『タタール人の砂漠』。
人はなぜ旅に出るのでしょう? 未知の国へのあこがれ、新しい人たちとの出逢い、
未体験な出来事への渇望、、、理由はさまざまでしょうが、一番の理由は
遙か彼方から自分を呼ぶ大いなる何者かの声に導かれたから。
砂漠に魅せられたアラビアのロレンスや、新大陸を目指して出航したコロンブスも然り。
自分を呼ぶ声をひとたび耳にしたものは、何かに駆り立てられるように旅立っていく。
もはや誰にも彼らを引き止めることはできないのですね。


(つづきます)

43 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 21:40:08

ところで、ブッツァーティーの小説の、声に導かれるまま旅立った主人公たちは、
なぜ、幾多の挫折を繰り返しながらも、途中で放棄しないのでしょう?
なぜ、止まらない列車に延々とこの先も乗りつづけるのでしょう?
なぜ、永遠に見つけられないものを探す旅を降りないのでしょう?
なぜ、来もしない敵を気の遠くなるような歳月、待ちつづけるのでしょう?

――The answer, my friend, is blowin' in the wind――by Bob Dylan
「友よ、答えは風の中に舞っている 〜byボブ・ディラン」

(前に野島伸司さん脚本の「愛という名のもとに」というビデオをレンタルしたら
ボブ・ディランの「風に吹かれて」の詩のワン・フレーズが引用されていました。)
♪Blowin' in the Wind♪ by Bob Dylan (本人) ↓
http://www.youtube.com/watch?v=-6gI9YS6avA

♪Blowin' in the Wind♪ by Peter Paul And Maryのカバーバージョン ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ku4oZjg0rz4

ちなみにわたしの答えは、彼らが旅を放棄しないのは、それが使命だから。
それも決して強いられたものではなく、自らの自由意志で選び取った使命。
そう、彼らを導き招く声とは人生における、その人の使命を表すのです。


――それでは。

44 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 22:21:20

☆☆おまけ☆☆


〜Blowin' in the Wind〜 by Bob Dylan

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
How many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?

The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
How many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
How many times can a man turn his head,
And pretend that he just doesn't see?

45 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 22:21:57

The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
How many ears must one man have
Before he can hear people cry?
How many deaths will it take till he knows
That too many people have died

The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

46 : ◆Fafd1c3Cuc :2006/12/24(日) 22:22:38

「風に吹かれて」 (訳詩) by Paul Kim

どれだけ多くの道を歩めば 人は人として認められるのだろう?
どれだけ多くの海の上を泳げば 白い鳩は浜の上で休めるのだろう?
どれだけ多くの鉄砲玉が飛んだら それらが禁止されるのだろう?
友よ、答えは吹いている風の中に 答えは風の中に舞っている

山は海に流されるまで 何年存在できるのだろう?
ある人々が自由を許されるまで 何年かかるのだろう?
人はどれぐらい顔を背けて 知らない振りをするのだろう?
友よ、答えは吹いている風の中に 答えは風の中に舞っている

どれだけたくさん空を見上げれば 人には空が見えるのだろう?
どれだけ多くの耳を持てば 人々の泣き声が聞こえるのだろう?
どれだけ多くの死者が出れば 多すぎる人々が死んでしまったことが
分かるのだろう?
友よ、答えは吹いている風の中に 答えは風の中に舞っている

47 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/01(月) 09:23:14
SXYさん、OTOさん、ROMされている皆さま、
あけましておめでとうございます
今年もこのスレをよろしくお願いします♪

猪年ということで折り句を意識して詠みました

「い」く久しきとしつき
「野」に山にさすらへる
「し」づかなる森陰にわれは見たり
「使」者七人ありてわれを待てり
われはふたたび旅立む
暁の星に送られて

48 :(OTO):2007/01/05(金) 13:57:05
ふたりともあけましておめでとう!今年もよろしく!
最近はふたりの感想読んでるだけで、だいぶ読んだ気になってるんだがww

生誕100年の去年にベケットの感想を交わせなかったのはちょっと心残りだなw
今は「エクリチュールと差異」の下を読んでて(上は何年か前に読了)、
今年はちょっとアルトーを読んでみようかなと思ってる。
「ヘリオガバルス」と「ゴッホ」は読んだ。
あと吉増について少し書きたいな。吉増のトランス発動機序について、
少し書けそうな気がしてきた。「詩をポケットに」まで読了。

今年も仲良くしてねww


49 :SXY ◆uyLlZvjSXY :2007/01/07(日) 01:38:26
>>47
ブッツァーティがらみの折り句とはまた乙で!
 いつもながらの、
 野に咲く花のような、
 静かで力強い、
 シリウスの輝き

>>48
去年はベケット、今年はブランショが生誕100年だね。
ベケット、アルトー、吉増。いずれも興味津々。
ベケットについては機会があれば何か書いてみたいナ。

ベンヤミン『写真小史』、ソンタグ『写真論』、 バルト『明るい部屋』、
最近読めたのはこれだけだけど、『明るい部屋』は写真論でありながら
自伝的小説のテイストが融合されてて、結構楽しめました。

昨年から書き残していることは多々あるのだけれど、
それはまたの機会ということにして、
とりあえず今年もよろしく。

50 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 20:00:53

>>48
(OTO)さん

>生誕100年の去年にベケットの感想を交わせなかったのはちょっと心残りだなw
これはね、わたしの明らかな怠慢ゆえです・・・
何かね、ベケットって読もうと力むと逃げ水のようにすっと遠くに行ってしまう、、、
戯曲がちょっと苦手ということもあるのですが、こちらのこころを読まれているなあ、
という感じ。本は読んでほしい人を選んでいます。侮れない、、、

>今は「エクリチュールと差異」の下を読んでて
デリダですね! デリダは哲学にも文学にも造詣が深く、どちらにも精通して
いますよね。わたしは入門書レベルなのですが。。。

>今年はちょっとアルトーを読んでみようかなと思ってる。
>「ヘリオガバルス」と「ゴッホ」は読んだ。
あちらのスレでもご紹介がありましたね。早速、「ヘリオガバルス」をリクエスト
しましたよ♪

>あと吉増について少し書きたいな。
楽しみにしています♪ 詩に対して(OTO)さんはかなり入れ込んでますよね!
詩的で簡潔な文章からも並々ならぬ熱意が伺えます。
今年もよろしくお願いします♪

51 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 20:02:03

>>49
SXY ◆uyLlZvjSXY さん

>ブッツァーティがらみの折り句とはまた乙で!
いえいえ、わたしの名前を入れて詠まれたSXYさんの折り句もかなり
みごとですよ♪ ありがとうです♪ うれしいデス♪

>ベケットについては機会があれば何か書いてみたいナ。
おふたりともすでにベケットを読まれておいでなのですね!
今年は、わたしも心機一転して取り組んでみようかな…、と思います。
とりあえず新年の第一冊目は「ヘリオガバルス」にしましたので、
ベケットは追い追いゆっくりと読んでいけたらいいかなあ、と。

>『明るい部屋』は写真論でありながら
>自伝的小説のテイストが融合されてて、結構楽しめました。
小説ならばわたしにも読めそうな気がしますね。
自伝的な要素が盛り込まれているといっても、完全な私小説とは異なり、
論文+小説のような感じなのでしょうかね??

今年もよろしくお願いします。
以下、ブッツァーティ短編集『石の幻影』の感想文です。

52 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 20:02:42

ブッツァーティ短編集『石の幻影』読了しました。

この短編集の表題にもなっている『石の幻影』はSF仕立ての作品です。
頭脳は亡き妻ラウーラそっくりに、身体は石でつくられた人造人間。
そして、彼女をつくった狂った科学者の悲劇です。
「第一号」と呼ばれる彼女は生身の肉体を持ちません。彼女の身体は崖の上に
そそり立つ石でできています。深い崖の地中には電気コードなどがびっしりと
埋め込まれています。人間の言語を話すことはなく、音声を記号化したグラフで
コミュニケーションします。
「第一号」は自分の性別を知りませんでした。ところがある日、美貌の女科学者が
自慢の肉体を誇示し彼女を挑発するのです。
そして初めて「第一号」は自分がかつて人間であり、女であったことを思い出す
のです。かつて自分がどれほど美しかったかを、跪かせた幾多の男たちの自分に
乞う熱いまなざしを。。。
それが、今や自分は肉体を持たず、城壁に縛りつけられ逃れられない。
「わたしの元の身体を返して!」彼女の怒りと嘆きは無関係の同性の女性に
向けられ、最後には破壊されてしまいます……。


(つづきます)

53 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 20:03:39

亡き妻への狂信的な愛がもたらした悲劇。
この短編を読んで真っ先に想起したのは「新世紀エヴァンゲリオン」でした。
あのアニメはいわゆる「オタク」と呼ばれ、気持ち悪がられ疎まれ、他者とまともに
コミュニケーションできない少年シンジの内面の葛藤と成長の物語としてとらえる
のが一般的なようですね。
わたしはオタク少年の物語云々よりも、シンジの父・碇博士の亡き妻への狂った
愛の悲劇のほうに興味がありました。
碇博士の妻・唯は、迫り来る敵・使途から人類を護る人造人間エヴァンゲリオンを
つくるために、生きたまま自らの命を実験台として捧げました。
碇博士は唯の意志を継ぎ次々とエヴァを完成させていきます。
彼がエヴァをつくるのは、表向きは人類補完計画のため、けれども本心はエヴァを
つくることで亡き妻・唯を蘇らせたかったというごく私的な理由のほうが強かった
ように思えるのです。そのためには手段を選びません。
本音と建前の使い分けの巧みさは愛に狂い「第一号」をつくったこの科学者そっくり
です。。。

碇博士は同僚の女性科学者の自分への一方的な愛を利用し、エヴァが完成したら
捨てました。彼女の娘もまた同様に…。


(つづきます)

54 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 20:04:22

『石の幻影』で「第一号」に呼びかける科学者は碇博士そのものです。
科学者には再婚した新しい妻もいるのに、未だこころから愛しているのは
亡くなった妻だけ。それも生前散々浮気をし、彼を苦しめた妻を。。。

けれども、これはたんなるSF小説にととまらず、人生を描く名手ブッツァーティの
鋭い洞察力に裏打ちされた深い真理の言葉が随所に光るのです。

――でも人間というものは、自分自身の心を悩ますように運命づけられています。
慰めというものは、すぐ手の届くところにあるものだということが、人間には
わからないのです。いつも新たな不安を自分から作ろうとしているのです――

人は何かひとつ困難を克服して安堵の思いに浸るや否や、次の瞬間にはもう新しい
心配事を自ら見つけてまたあれこれ思い悩むものですね。
これでいい、もう充分満足だという境地にはなかなか達しないようです……。
つまり人間の欲望というものは快楽を際限なく求めつづけるのみならず、
困難をも際限なく求めつづけて止まないということでもあるのです。
現状に充足しきれない生きもの、それが人間。


(つづきます)

55 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 21:03:33

――人生というものは、私たちにとって一番幸福な時でさえ、もしも自殺や
自己破壊の可能性が失われたら、たちまち耐えがたいものになるだろうと
いうことです。(略)恐ろしい牢獄です。私たちは狂人になるに違いありません――

機械は燃料がなくなれば動きませんが、補充すれば動きます。
けれども、機械は自らを破壊することはできません。意志を持っていないからです。
人間に与えられた自由意志の最たるものは「自らの命を滅ぼす自由」であると
ブッツァーティは述べています。
非常に危険な言葉でありますが真理ですね。
逆説的ですが、人はいざとなったらいつでも自殺できる可能性があるからこそ、
何とかつらい日々を耐えられる、正気を理性を保っていられるということですね。
「死」はすべての生きものに等しく与えられた最後の恩寵であるのです。

別板でOTOさんと『葉隠れ』について少し語ったのですが、あの有名な一節、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、毎朝目覚めたら自分の死に様を黙想し、
黙想のなかで一度死んでから一日を始めよ、死をつねに意識せよ、という
ことです。腹を括って死に臨む姿勢で生きよ、そうすれば怖いものは何もない。
わたしは『葉隠れ』にブッツァーティの人生観にも似た深いものを見るのです。


(つづきます)

56 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 21:04:19

同じ短編集に所収されていた『海獣コロンブレ』は、宿命の海獣コロンブレから
逃げようとして逃げられず、彼と対峙するために海に出て行く男の物語です。
子供のときに船乗りたちから恐れられているコロンブレと呼ばれる鮫を見て以来
彼は水夫になることをあきらめ、陸での生活を選びます。
事業で成功し豊かな日々を送る彼はふと思いついて海の見えるところにいくと
コロンブレが沖の方で彼を監視するかのように見ている。
いつどこの海に行っても必ずコロンブレは彼を監視しています。
ついに彼は意を決して海に出て行きます。そしてコロンブレとの一騎打ち。
「俺はただ海の王からお前に渡すようにとこの真珠を預かってきただけだ」。
二ヶ月後座礁した舟には白骨化した死骸があり、その手には小さな丸い小石が…。

ひとたび、運命=コロンブレに魅入られた男は抗っても抗っても逃れることは
できませんでした。しかも、コロンブレの姿は他の人間には見えない。彼にしか
見えないのです。人は無意識のうちに自分の運命の綱を握る主を探し求めて
いるのかもしれません……。
そしてひとたび探し当てた以上、自分の運命は自分しか生きることができない。
他の誰かが代わりに自分の運命を生きることはできないのですね。
運命という予測不可能なもの、人智を超えた大いなるものに対して人は抗うことは
できないということでしょうか。
短い寓話ながらもブッツァーティの本領が発揮された一編です。


――それでは。

57 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 21:04:58

(追 記)

『石の幻影』の、機械「第一号」に作り変えられたラウーラの嘆きと悲しみに、
ふと映画「イノセンス」のエンディングに流れていた伊藤君子の<Follow Me>を
思い出しました。……痛切で深い悲しみの漂う印象に残る曲です。
(奇しくも「イノセンス〜攻殻機動隊〜」のメンバーの数人は、こころ・魂は人間、
身体は全身サイボーグで出来ています。「第一号」ラウーラとどこか重なりますが、
決定的な違いは攻殻のメンバーは自らの意志で機械の身体を選んだことかな……)

「攻殻」の素子、バトーの映像もお楽しみ下さい。(OTO)さんなら分かりますよね♪

♪<Follow Me>♪
http://www.youtube.com/watch?v=kcqkiGLqn7o

58 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 21:05:43

<Follow Me> (Lyric: Herbert Kretzmer/Hal Shapey)


Follow me to a land across the shining sea
Waiting beyond the world that we have known
Beyond the world the dream could be
And the joy we have tasted

Follow me along the road that only love can see
Rising above the fun years of the night
Into the light beyond the tears
And all the years we have wasted

Follow me to a distant land this mountain high
Where all the music that we always kept inside will fill the sky
Singing in the silent swerve a heart is free
While the world goes on turning and turning
Turning and falling

Follow me to a distant land this mountain high
Where all the music that we always kept inside will fill the sky
Singing in the silent swerve a heart is free
While the world goes on turning and turning
Turning and falling

Follow me...
Follow me...


59 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/09(火) 21:06:26

【訳詞】 <Follow Me> (※翻訳サイトを使ってみましたよ)


私についてきて あなたの知っている世界を超えて
輝きながら待っている海を渡って 夢のように 世界を越えて
私についてきて 私たちが味わった喜び、愛だけが
楽しい夜の数年を克服する道に沿うでしょう

私についてきて 涙の向こうの光へ 私たちが浪費したすべての年月
離れた土地へ この山へ
私たちの変わらぬ音楽 暗黙の曲がり角で自由なこころで歌う
満天の高い空を仰いで 世界は回り続ける

私についてきて 離れた土地へ この山へ 私たちが回転して落ちても
私たちの変わらぬ音楽 暗黙の曲がり角で自由なこころで歌う
満天の高い空を仰いで 世界は回り続ける
世界が回りながら落ちても
私についてきて…
私についてきて…

60 : ◆Fafd1c3Cuc :2007/01/10(水) 21:57:44

☆☆緊急連絡☆☆

OTOさん、%さん、あちらのスレが472 KB でいきなり落ちてしまいました。。。
500 KBには達してなかったし、対話も今日の午後まで続いていたのに・・・
削除依頼が出されたのかなあ? とり急ぎ下記にいます。

http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1102188602/l50

57 KB
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