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「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」

1 :無名草子さん:03/12/16 21:08
西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」(日新報道)に
ついて論じ合いましょう。
http://zenkoji.shinsh-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
(この本に関する書評)

参考サイト
http://www.nsjap.com/marco/marco1.html
(西岡昌紀「ナチ『ガス室』はなかった」マルコポーロ
 1995年2月号より・全文)

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
(木村愛二「アウシュヴィッツの争点」全文)

58 :無名草子さん:04/01/02 22:21
明治37年、悪戦苦闘を極めた旅順戦で、第三軍司令官乃木希典大将は自身の二子をも失った。長男勝典は5月27日南山の戦闘で、次男保典は11月30日203高地の戦闘で、それぞれ戦死した。
保典戦死の報を聞いた乃木は、
「よく死んでくれた。これで世間に対し申し訳が立つ。よく死んでくれた。」
と言ったという。
文豪森鴎外はこの時、第二軍の軍医部長として十里河の前線にあったが、保典少尉戦死の報を知り、二子共に喪った乃木の心中を悼んで長編の詩を作った。それは「乃木将軍」という題で彼の「うた日記」の中に収められたが、その中での圧巻だと噂されている。

つはものの    武勇なきには  あらねども
真鉄(まがね)なす べとんに投ぐる 人の肉(しし)
往くものは    生きて還らぬ  強襲の
鉾(ほこさき)を  しばし転じて  右手のかた
図上なる    標(しるし)のたかさ 二霊三
嶺(いただき)の  ふたつ聳ゆる  石やまに
たえだえの    望みのいとを  掛けてこそ
きのうけふ     軍の主力を  向けてしか

59 :無名草子さん:04/01/02 22:22
霜月の   三十日の    夕まぐれ
将軍は   高崎山の    師団より
ただ一騎  柳樹房なる   本営に
帰らんと  曲家屯をぞ   過ぎたまふ
ほの暗き  道のほとりを  見たまへば
身うち皆  血に塗れたる  卒ありて
そびらには はやこときれし 将校の
亡骸を   かきのせてこそ 立てりけれ

汝は誰ぞ  そを何処にか  負ひてゆく
聞こし召せ 背負ひまつるは 奴わが
主と頼む  乃木将軍の   愛児なり
年老いし  将軍の家の   二人子
そのひとり 勝典ぬしは   いちはやく
南山に   討たれ給ひて 残れるは
おとうとの 保典のぬし  ひとりのみ
背負へるは その一人子の 亡骸ぞ

60 :児玉誉士夫随想・対談「われ かく戦えり」より:04/01/02 22:26
 自分は日本を発つ前に外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅するに必要な援助と注意を受けたが、そのとき河相氏が数枚の写真を見せて
「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真
であった。そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面し
てみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。

当時、大同では「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。また占領地の寺や廟に行っ
てみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁には「何年何月何部隊占領」などと落書してあった。人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊
でも若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為が
さらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。

61 :無名草子さん:04/01/02 22:26
父君は   心ををしく    我が主をも
隊附の   ままにあらせて  討死の
身の果ては おのれと三人   葬りをば
ひと時に  営めと宣(の)り  給ひしを
人人の   強ひて料らひ   つるにより
さいつ頃  友安旅団の    副官に
職かはり  まだ程経ぬに   この朝開(あさけ)
あへなくも 空しき骸(から)と なりましぬ

果てましし 処は高地    二霊三
眼鏡もて  敵の備えを   望みます
うら若き  額(ぬか)のただ中 打ち貫かれ
ひと言を  宣給はん    ひまもなく
持口の   南の峯に    うせ給ふ
その骸を  奴背負ひて   此の村に
ありと聞く 野戦病院    たづぬれど
くるほしき 心からにや   たづねえず

かくいふを 駒をとどめて  聞きましし
将軍は   病院の旗    あるかたを
鞭あげて  彼方にこそと  さし給ふ
面ざしは  かはたれ時に  見えねども
目ざとくも 雲の絶間ゆ   覗ひし
さむ空に  まだ輝かぬ   冬の星
更闌けて  友なる星に   将軍の
睫毛だに  動かざりきと  語りけり


泣こうにも泣けない老将軍の心を察し、文豪が作った鎮魂歌であった。

62 :無名草子さん:04/01/02 22:27
大和民族として日本に生まれたこと、
日本人として日本に生まれたことを、心から誇りに思います。

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