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高倍率の純文学新人賞の功罪

1 :板尾立男:2006/03/24(金) 23:46:23
「何千人の中からたった一人を選ぶという純文学新人賞からは、実はマトモな作家が出ていない」という仮説を立てる。大作家などではなく、継続的にある程度のクオリティの作品を書き続けることのできる、マトモな作家さえ、純文学新人賞からは出てき
ていないのではないか?町田康しかり。舞城王太郎しかり。島田もそう。源一郎はクソミソにけなされて落とされた後に編集に後押しされて書いた完全に出来レースでデビュー。(龍、春樹の群像応募時の難関ぶりを知っている方は教えてほしい)
それ以前の時代は、三島、大江、中上を持ち出すまでもなく、新人賞から出てくる慣例は定まっていなかった。つまり今は必然的な前提と思われている新人賞デビューというのは、単なる歴史の一時期に限定された悪しき風習に過ぎないのかもしれないのだ。


2 :板尾立子:2006/03/24(金) 23:49:49
兄さん、こんなところにいたのね……。

3 :板尾立男:2006/03/24(金) 23:50:43
作家とは可能な限りのところまで自意識で世界に対峙してゆく存在である。ところが、
自分が応募し落とされた文学新人賞に受賞した作品が、はっきり勝っていると思えず、
どこが負けているのかさっぱり分からないということが茶飯事ではないだろうか。
であるなら、これはあらゆる勝負事のなかでもっとも不毛な戦いになりかねない。
選考する側は、「そうではない、才能のある者は必ず出てくる」と言うだろう。
しかし、もしもある者が、他の千人の者に才能(作品の優劣)で勝つ、
などともし思い込め
るのなら、それは作家にはもっともふさわしくない、おめでたい自惚れた態度と言わざるをえない。
つまりそこには必ず、作者の自意識を超えた、宝くじにでも当たるという要素が付随しており。
そのようにして当選した作家は、傾向と対策には長けていても、暴力的なまでに何かを書き続けるという
モチベーションに欠けているのではないだろうか?
女ならばそれでいい。選ばれたシンデレラとして仕込み、喧伝しやすく、本人も容易にその気になる
ことだろう。だが、男の作家というものは、それでは駄目なんじゃないか。体制に受け入れられた
ことを唾棄するような人間でなければ、作家とはいえないのではないか。例えは悪いが、
年齢もテイストもバラバラな初期のモーニング娘よりも、難関を超えた現在のモーニング娘の方が
限りなく薄口で存在感がないのと、似てはいないか。ある面では、
東大に入るよりも難しい、文学新人賞をとるということを、自意識で突破したのではなく、
運を天にまかすような他人の意図のなかで選ばれた者だからこそ、多くの者は書き続ける
ことができないのだ。その、傾向と対策の作家の中では、もっとも優等生的な阿部和重と
吉田修一がかろうじてそれができているというぐらいだろう。
他にも編集者のサラリーマン化、作家ではなく、編集という技能がギルドとして
継承されていない、とか、話し合える視点はいくらでもあるだろう。少なくとも、
不毛な場所に対して、淡い期待をいだくような、ウェットな態度でいるよりはいい。

4 :名無し物書き@推敲中?:2006/03/24(金) 23:50:47
それにしても去年の新人賞は不作だったわな。
本当にあれ以上のものがなかったのか?

5 :名無し物書き@推敲中?:2006/03/25(土) 00:02:35
「お兄ちゃんそんなトコ・・・」

まで読んだ

6 :名無し物書き@推敲中?:2006/03/25(土) 03:08:52
で、どこの賞に落ちたんだい?

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